それして何なるの?と言う言葉


わたしは体を鍛えるのが好きでジム通っている。
サウナも好きだ🧖‍♀️

どっちもやると前向きな気持ちになってハッピーになるし、何より気持ちがいい。


わたしは食べ物や写真を撮ることも好きだ。
カラフルな色を見るのが好きだ。

見ていると癒されるし元気になれる。

何より、目の前に野菜1つあったとして
それをいろんな形に切れるって
奥が深い。

たとえにんじんしかない暮らしになっても
少し楽しめる。
そんな日は来ないけどそれは例え。
そういうことってあるでしょう。

コロナで家から出れなくなったり
家族が病気であまりご飯を食べれなくなったり。

そんな時、目の前にある野菜1つ、
それで少しでも心がわぁってときめくなら
それは素敵なことなんじゃないか。


死ぬまでずっと、包丁とにんじんがあればどこにいてもできる。

身体もどこに行ってもついてくる。
体力がなかったら、ディズニーに行っても楽しめないし、見た目にも自信がなくなる。
太って息切れする体に、
高い服をたくさん買うより
まず体を綺麗にして動けるようにすること、
そのほうがいいんじゃなかろうか。


古代から人は食べ物に色んな工夫をしてきたし、
綿を染めて色をつけた。
食べ物に工夫すること、目で見て楽しむこと、
それって人間に備わってる最高の能力だと思う。

もしそれが人間にとって本当に要らないことなら
ここまで色んな技術が進歩しているだろうか?

ファッション、家、グルメ、機械、ありとあらゆるものがもっと良くしたい、綺麗にしたい、見ていて楽しい、使って楽、そういう思いのもとに進展してきたんだと思う。


だけどだけど、わたしが自然を楽しんだり、飾り切りを練習したり、着付けを習ったりしていると、こんなことを言う人がいる。

『それして何になるの?』『どこに向かってるの?』と笑う。

そう言う人はきっと、やろうとしてもわたしと同じようにできない。できないから、そうやって言ってるんだと思う。

やりたくないなら別にやらなければいい。
でも、人生は短いしあっという間に年をとる。

年をとった時に、何もしてこなかったなと
必ず思うものだと思う。
わたしは、少しでもやりたいなと思ったらやりたいし、人間に生まれたのだから、持てる限りの感性を使って色んなものを愛でていきたい。

技術を磨いていきたい。
生きてるって感じたい。


わたしはそれして何になる?と言う人にはなりたくない。そういう人とは話したくはない。
何も共有できることはない。

これからも思うままにやって
そばにいてくれる人を大切にしよう。

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