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人生の舵を取る

——「この人と一生一緒にいる」——

 ライフパートナーを見つけた時、
 願いを込めて、そう思う人も少なくないだろう。

 けれども人生は長く、その間にライフスタイルが変わり、今のベストが将来のベストとはならない事もある。

 エリカさんもその1人だ。

 子どもを出産後にこれからの人生を考え、当時お付き合いしていた女性のパートナーとの別れを思い切って選び、現在は別の女性のパートナーと暮らしている。

 エリカ「出産までに24時間もかかりました。生まれた瞬間、子どもが泣かなくて。」

10年前のことを明るく語るエリカさんからは、当時の大変さは微塵も感じられない。



エリカさんプロフィール
世田谷区在住。アメリカ、カリフォルニア州に生まれ日本で育つ。
女性のパートナーと交際をしていた20代の時に、仕事関係の知人から精子提供を受け子どもを出産。子どもは現在7歳。
その後、当時のパートナーと別れ、現在は別の女性パートナーと米国で結婚し日本で暮らしている。
パートナーは、現在出産間近。

    エリカさんは、中学、高校生の時は男性と付き合っていた。
 しかし、19歳の時に訪れたニューヨークのセントラルパークで、同性カップルが楽しそうにピクニックをしていたのを見て、「世の中にはいろいろな価値観がある」と、小さい頃から抱いていた同性に対する想いを再確認する。
 

 その後、20代前半で当時付き合っていた女性パートナーとの安定した関係を築いていくうちに、初めはなかった「子どもが欲しい」という気持ちが、自然に「子どもっていいね」と2人で言うようにまでなっていった。


 元々セクシュアリティに関してもオープンだったため、「子どもが欲しい」ということも周囲にオープンにしていたところ、ドナー経験があるという仕事の知り合いが、ドナーになることを了承してくれた。


 エリカ「取り決めについては、子育てに関わらないという口約束のみでした。本当に若かったし、ドナー側も結婚を望んでいなくて、子どもも欲しいと思っていなかったので。ただ、今思うと子どもが生まれた時に、もしかしたらドナー側が親権を主張してくる可能性もあるなと。でも法律に関する情報もなくて、その時は取り決めをした方がいいというのもわからなくて…。」


 その後、シリンジ法の3回目のトライで妊娠。
 子どもを授かるまではスムーズだったものの、出産はそうはいかなかった。なんと、出産までに24時間かかり、最後はエリカさんの上に何人もの人が乗り子どもを押し出すという状況に。
 さらに、生まれてきた子どもには持病があることもわかり、出産後すぐに転院、入院となってしまう。


 エリカ「息子が3ヶ月入院していたので、毎日毎晩搾乳して病院に届けていました。冷凍してフリーザーバックに持っていって…。
 病院が自宅から遠かったので、その当時は病院に少しでも近い友人の家に泊まらせてもらって生活をしていました。当時の私は、家で子どもが過ごせないことへの負い目や寂しさを抱えていて、早く家で育てたいという思いが強かったです。ただ子どもが入院をしている間、準備期間もたくさんあって心構えもできました。」

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出産自体は大変だったものの「2人ママ」という立場を病院側は尊重。立ち会い出産もできた。


 エリカ「息子を出産した病院では、2人とも母親だということを伝えていました。そしたら、病院側が「同性カップルが初めてのケースだから色々聞きたいです。」という姿勢になってくれて。立ち合い出産についてはどうするか、両親学級の時には周りにどう説明したらいいかなど、前向きに聞いてくれました。
 転院した先の病院は小児科、産婦人科の先駆的な病院で、2人とも母親という立場を受け入れてくれました。ママとマミーと呼ばれたり、病院側が2人とも母親として扱ってくれたこともあって、子育てへの移行がとてもスムーズでした。」


  そして、出産後約5ヶ月でエリカさんは仕事に復帰。
 今後の人生を考えた時に、ちゃんとキャリア形成をしたいと思ったエリカさん。
 そこからパートナーとの話し合いが始まり、同時に2人のズレが表に出始めた。


 エリカ「まずは今のライフスタイルでは続けていけないという交渉からだったんですよね。その当時は17時で帰れる仕事をしていて、このままだと自分が一生同じお給料で生活することになるなって思っていました。反対にパートナーは朝から晩まで働いていて、彼女の体にもガタがきていて、無理をしてこのまま生活を続けていくのはお互いに無理だろうなと思ったんですよね。


 
 平日は私が17時まで仕事をした後ずっと息子を見ていて、土日は3人で過ごす時間をとりたいけれど、彼女が疲れ切って寝ていたりして、すごくワークライフバランスが悪かったんです。
 これは私から見てですけど、相手のバランスが悪いと思ったし、私もちゃんとキャリア形成をしたいというそういう話し合いからだったんです。


 お互い譲歩できる部分とそうじゃない部分を話し合ってすり合わせをしようと思ったんですけれど、子育ての仕方というか、私は海外にも行ったりしていたので、息子に外の世界を見せたいと考えていたけれども、彼女はそうは考えていなかったり、お互いの人生を見つめ直した時に、パラパラと方向性の違いが見えてきました。


 お互いに歩み寄る方向性で初めは動いて、彼女もここまではできる、私もここまではいいということで譲歩できていたんですけれど、その話し合いの時期に私の家族に大きな出来事があって、その時にお互いの根本的な考えの違いというのが見えてきてしまったことが、別れる決定的な要因となりました。


 私は結構楽観的で直感派なのですが、流動的に変化する価値観の中で、徐々に彼女と根本にあるものの違いを感じながら子育てをしていて、結果的には彼女とは深い話し合いができませんでした。
 これはどんなカップルでもあると思いますが、すり合わせをしたいけれど、深い話し合いの仕方が分からない方っているじゃないですか。彼女とも最後まで深いところでのすり合わせができませんでした。

 息子への愛情は2人とも同じだし、お互いを大切に想い合っているというのは変わらないのだけれど、パートナーと話をするうちに2人で子育てをしていくのは難しいなと思ってきて…。多分それは彼女も感じていたと思います。」

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パートナーシップを解消するにあたっても、2人はそれぞれの道を歩みながら子育てをするというポジティブな方向性だった。しかし、パートナーシップ解消等同意書を作るため、息子との関わり方や、建てたばかりの住宅ローン、養育費のことなどを決めていく中、話し合いがうまくいかずさらに関係が悪化。

元パートナーは別れた後も、最初は定期的に子どもに会ってくれていたものの、様々な事情が重なり、現在はあまり会えていない。


 エリカ「すごくいい母親で、私よりも優しさを息子に残してくれたと思っています。息子の優しい性格は彼女譲りだと思うので、今会えていないことが残念です。」

次回に続く



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