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何度でも自分を見つけること

こんにちは!Love Makes Family編集部です。

既存のかぞくの形に囚われない、新たな生き方のヒントを発信する次世代WEBマガジン『Love Makes Family』、第14回目の連載です。

今回は、インタビュー当時ロサンゼルスで出産を間近に控えていた田崎彩さんにお話を伺いました。
前編では、セクシャリティを自覚したきっかけについて伺いました。



「日本に住みたい気持ちがなかった。」

そう語る田崎彩さんは、現在ロサンゼルスに住んでいる。
その前はニューヨークに10年、さらにその前にはシカゴに住んでいた。

日本に住んだことがなかったわけではない。
けれども、彩さんにとって日本はどこか「あるべき姿」を求められる窮屈な場所だった。

インタビュー当時、彩さんは臨月で出産を間近に控えていた。
日本人であるというアイデンティティを持ちながら、アメリカに住み、これから子育てをしていく彩さんにお話を聞いた。


彩さんプロフィール
東京生まれ、35歳。5歳以降、親の仕事の関係で、ある時は日本に、ある時はアメリカにと両方の国に住み、大学以降はアメリカに在住。現在はロサンゼルスでパートナーと暮らしている。※取材時は妊娠中


人と関わること、繋がること、そして自分を知ること


彩さんが自分のセクシュアリティを自覚したのは、大学に入学してから。
実は日本で女子校に通っていたものの、自分の気持ちは、よくある「先輩への憧れ」の延長だと思っていたという。

「小学校、中学校の頃はちょうど1990年代から2000年台前半で、今みたいにLGBTQに関して学校で授業があるわけでもなくテレビなどでも取り上げられることもほとんどなく、情報もありませんでした。
親の転勤で、5歳から9歳までシカゴに住んでいたんですけど、その後日本に戻ってきたときに、逆カルチャーショックがあって、自分の中で「日本の社会に馴染まない」という葛藤がありました。その馴染むという中には、男性の視線を気にする、男の子にモテる、男性アイドルを好きになるなど、男性から女の子として見てもらえるというのが大切なんじゃないかという気持ちがありました。たとえ英語が喋れても、それは「いい気になってる」みたいに見られたりして、人と違うことは価値がないというメッセージだと感じていました。とにかく考えずに「男性にモテることに集中する」ということに必死でした。」

高校の時も男の子とばかり付き合っていた。その後高校の途中でアメリカに戻った時にもかなり真剣に付き合っていたボーイフレンドもいて、アメリカに戻ってからもいた。
自分でわざわざ探さないとLGBTQの情報などもなく、セクシュアリティについて考える必要もないし、そんな機会もなかった。高校でカミングアウトを受けたゲイの友達はいたが、それ自体に違和感はなかったものの自分にも当てはめることもなかった。

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そんな彩さんに転機が訪れたのは大学に入学してからだ。

アメリカの大学に通いながら、自分のセクシュアリティや性自認、 人種、社会の階級などアイデンティティについて考える機会が増えたからだという。

「元々、新入生の時、留学生やマイノリティのためのオフィスがあって、そこのディレクターの人と仲良くなったんです。面白いと思ってもらえたみたいで、その人から誘ってもらって、自分のリーダー性を育てる上でいろいろなチャンスをもらいました。大学はシカゴ郊外のリベラルアーツの学校で、大都市での大学生活ではなくて、森に囲まれて、歩いていけばミシガン湖がある場所でした。アメリカから出たことのない白人のグループ、国際的な人たち、その他マイノリティのグループみたいに自然と分かれていて、そんな場所で寝て食べて勉強して、いろいろな考えを持った人と生活をすることで、色々と考えざるを得なかったです。」

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その後大学の寮を出て、シカゴダウンタウンであるボーイズタウン(LGBTQの街)の小さなアパートに引っ越し、難民サポートをするNGO、ラテン系のNGOなど2、3個のNGOをかけもちしながら、一方で大人に英語を教えたり、ベビーシッターをしたりと、複数のアルバイトに励んだ。大学を卒業しても、自分らしく生きられない日本には帰りたくないという一心で、ニューヨークの大学院に進学。学生を続けながら、LGBTQなどの草の根活動を続けた。

「英語では 『Chosen Family』 という言葉があるんですけど、ちょっとした知り合い、というレベルではなく正に「選んだかぞく」、そのレベルに当たるような人の中に色々な属性の人がいました。繋がりが深まって、人間の立体性という中でつながっていく機会が多く、そういう活動をする中で自分の考えは変わっていったと思います。
周りにはあり得ないと言われるんですけれど、もし日本で帰国子女として住んでいたら、適当に男性と結婚して「こんなもんかな」と、結婚していたかもしれない。
ある意味アメリカにいて、自分のいろいろな部分のアイデンティティを考えられたから、そういう活動もしてきたし、かなり自分の中では政治的にも考え方的にも進化したと思います。」


※Chosen Familyとは、「= 自分で選んだ家族」という意味で「血」や「家」で繋がっていない人を自分の家族だとすること


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子どもを持つことは若い頃は、全然考えていなかったという。
それは、両親から「子どもを持って欲しい」、「結婚して欲しい」、「どう生きて欲しい」などというふうに言われなかったことも影響しているかもしれないという。
「逆に結婚という話になった時に、異性同士の結婚の形しか見てこなかったので、
結婚というものは、そういうものだから興味がないと思っていました。
LGBTQだからということではなくて、結婚は男性と一緒に結婚するものだから、自分は興味がないというかそんなレベルだったんです。お母さんになりたいとかも思ったことがありませんでした。
大学の頃から「バイトだとベビーシッターが主流」というところがあってそれが楽しかった記憶はあります。だからと言って自分の子どもが欲しいというのはなく子供が好きなんだなという程度でした。
徐々に自分にしっくりくる恋愛関係を経験する中で、子どもを持つことにはオープンだけど、自分が良いなと思えるパートナと一緒になった時に二人にとって子どもを持つのが自然、楽しそう、家族を広げる次のステップに当てはまるのであればというふうに考え方が変わっていきました。ただ一人で子どもが欲しいとは思っていなかったです。」


後半に続きます


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