悲観と楽観

ただ、GHQの強引なやり方には、呑み込まれて、誤魔化しているうちに、すっかり元の歴史を忘れた感じ、ある。

note写仏部活動中⑭鑑賞編(下)✧♡

あやのん2024年5月9日

わたしは、この点
すっかり元の歴史を忘れた感じ
を切実に感じて、すごく悲観的になります。

もう日本ってダメ、って思ってます。日本語なんてぼろぼろ。

戦前の日本語は「もう難しくて読めない」なんて言って、明治の庶民に向けて書かれた『学問のすすめ』なんかに「現代語訳」が出てる。

この状況のヤバさをみんなわかってない、ってわたしは思って悲観する。

それで、あやのんさんにはよくしばかれてます。
「あほんだら、お前なぁ、悲観的に見たら、余計にわるうなるだけやろが、このぼけかすが。」って。
そんな関西弁は使はないけど( ´艸`)
でも、あやのんさんはけっこう怒ってる感じ。
悲観がものごとをダメにするのをあやのんさんはどうやら切実に知ってるらしくて、そのことをすごく憂えてゐるのだと思ひます。

悲観的なわたしは、なんで戦後はかうなんだと調べてたら、戦後だけがおかしいといふより、明治維新からけっこうめちゃくちゃだと思ふやうになりました。
ますます悲観的になった( ´艸`)

明治維新は近代化した西洋列強の侵略に晒されて仕方なくやったこと、中身はかなりひどい。
たとへば、西郷隆盛さんたちは、天皇を王様として使って日本を立憲君主の国にしようとしたけど、そのときのモデルは、イギリス帝国、ドイツ帝国、オーストリアといったゲルマンのバリバリの侵略民族の体制。
ろくなもんぢゃない。

日本人がみんな持ってゐる天皇といふ存在に対する崇敬の念を利用して(これは戦後の政府もずっとやってる)、日本人のやまとごころを汚染するからごころ(ドイツ・イギリス帝国主義)を日本に注入してしまった。
わたしは、さう認識するやうになりました。

だから、日本人の西郷さん好きは心情としてはわかるけど、ワイル奴だとわたしは言ふことに決めた。実際、ワルイやつだしね( ´艸`)
南洲遺訓なんていふ、あのきれいごとの羅列で中身の無いキモすぎる文章、明治政府が作ったに決まってる。←陰謀論です、本気にしないでね( ´艸`)

そして、強大な国民国家をもたらした近代化。
近代って何よ?
といふところに行ってしまひました。

この近代が、あなた、ほんとに、やっかいなのよ。
調べたら、あなたもけっこう悲観するかも( ´艸`)


悲観は、ものごとを客観的に的確にとらへる作用があります。
短調と長調のモーツアルト、それぞれを店内に流して、お客さんに、あとから店の中の様子を聴取すると、
短調のモーツァルトが流れてゐたときに店内に入ってた人たちのはうが圧倒的に、正確に詳しく、店内の様子を想起できた。
といふ、そんな心理実験の結果もあります。
モーツァルトの短調はあまり知られてないかもしれませんが、しみじみ暗いです。芸術的に暗い。わたしは好き←悲観的だからな

悲観的だと、ものごとを正確に詳しく(無意識にしろ)認識するように人間の脳はできてるらしい。

だから、悲観的な感覚を強く持つ人間が必ず生まれてきます。
たぶん、人間といふ種の保存には、悲観的な人間も少しは(多いとダメね( ´艸`))必要だからだと思ひます。
悲観的な人間は、誰よりも先に、迫ってくる危険に気づくからです。

でも、悲観的すぎる人間は、悲観ばかりして役に立たない。

楽観的な人と連携して、現実に対処しないとならない。
評論家ではなく行動する人たちが必要となる。
そのときは、ふつうより楽観的な人の出番です。

だから、やはり人間といふ種の保存のためには、生まれつき楽観的な人も必ず人間社会には存在するし、おそらく多数、存在しなければならないのだと思ひます。

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