女になりたかった理由
わたしが女になりたかった理由は、
見られたいから
それに尽きます。
男性が性欲のために女を見る、そして、見られる女。
その見る見られる関係にしか
生きて存在してることの意味も充実も無いとわたしは思ひました。
今でも、これは、ある。
女のからだを見せつけてる女、ファッションモデルやグラビアアイドルから、ストリッパーとか実演中のAVの女優まで。
人が人に関心を注ぐ場合、愛情なんか足元に及ばないのが男性の女性に対する性欲だとわたしは思ひました。
そして具体的には、
見る
といふ行為になる。
暗闇の夜を貫く探照灯のやうな、男性の見るといふ性欲に照らされて、わたしの存在の輪郭を確かめたい。男性に見つめられながら、あのくるほしい腰の動きでばらばらにされさうなくらゐ揺さぶられたい、その間は絶対に目をつぶらない男性たちの、あの滑稽なくらゐ真剣なピストン運動で永遠にからだを貫かれてゐたい。
さうしたらわたしは確かにここにゐて、今生きてる、って思へるはず。
わたしは10代の半ば、(実年齢より3歳は幼く見えて)思春期前の女の子みたいなきゃしゃなからだ、思春期前のボーイッシュな女の子みたいな顔、の少年として(少年愛趣味の)ホモの男性たちを魅惑できることにつけ込んで、ホモ男性たちに自ら身体を提供しました。
女の人が、普通、男性に性欲的な意味で求められるのはこんな感じなんだらうなといふ体験をしたのです。男の人たちの性欲、凄まじかった。わたしを見て男の人たちが激しく興奮してること、それがわたしはからだがほんとにがたがた震へるほど嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
乳房も無いのにブラジャーを付けるやうになってた当時のわたしは、背中に届く長い髪が自慢、お化粧こそしなかった(ほんとはすごくしたかった)けど、男の人たちに呼び出されたときはこっそり赤い口紅だけは付けておいて、こころの中では淑やかで恥ずかしがりの内気な女の子になりきって、裸にされて縛られて、叩かれて、いろんなことされて、喉が枯れるまで叫び続けて、見られる女の喜びを味はひ尽くして失神するといふ体験を何度も何度もしました。その時は完全に女になれたやうな気がした。
けれども、男性たちに撮られた写真やビデオがしっかり残ってゐて、わたしがその時に自分が妄想してたみたいな女の子なんかではなく、長い髪がまとはりつくことで顔つきは少しは騙せても、身体そのものはあからさまにしっかり男の子のままであることを見せつけられました。いいえ、男の子どころか、ちょうど背も伸び出して顔も男の子から男へと変はってゆくときでした。その姿がはっきりと記録されてて、男の人たちに無理やり見せられて笑はれて、わたしはいつも男の人たちの笑ひ声の中でしくしくめそめそ泣きました。そんなあたしをまた貪欲な男の人たちが責め始める。わたしは少しも拒まなかった。なんかこころよい自堕落だったかも。もうからだもこころも鼠色に汚れてしまったあたしが、あたしはいっそ好きかも、つて思ひながら笑ひながら泣いてた。
女になりたい!女の身体になりたい!
身体が女であり、その身体に男の人たちが女に対する性欲を注がない限り、わたしはわたしでない。わたしのふりをした、わたしの偽者。
そんな感じがどうしても拭へませんでした。
今も、残る。
わたしのこの異様な欲望。
これって、結局のところ、裸の赤ん坊のときに、お母さんから熱い視線を浴びながら、自分の一番恥ずかしい姿をさらして襁褓を替えられたり、ぎゅっと抱きしめられたり、笑ひながら揺すられたり、そんなことを朝から晩まで、いいへ、一晩中夜明けまでも、くりかへしくりかへし、わたしにして欲しかったといふ、つまりはわたしの中の赤ん坊の願ひかしら?
って気づいたのは、縛って叩いて辱めて、といふわたしの変態的な要求に、普通の家庭の夫婦生活の中で軽蔑することもなく応じてくださってきた妻様が、女になりたくてなりたくて、とうとう精神が綻びてしまったわたしを見て
しゃうたんを私の子宮に入れてあげたい
しゃうたんを産みたい
私の赤ちゃんとして育てたい
と泣き叫ぶのを見た時です。
妻様はわたしのこころの乳母だったんだ。
あの乳母猫みたいに、わたしのこころとからだをナースしてくれてきた。
わたしは、やっと、自分の得体の知れない欲望が、どんな姿をしてゐるかがぼんやりと見えるくらゐまでは欲望と距離を持てるやうになりました。
わたしの底抜けの欲望は、火山口から涎のやうに溢れるマグマみたいに煮えたぎってゐる。
今のわたしは、それを見てゐる。
見られたくて身を捩ってくるしむわたしを、見られたいわたしを、見てゐる。
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