note写仏部幽霊部員通信⑥神道について

今の世の中で仏教を本気で信じてゐる人はゐないと思ふ。
けれども、奈良の大仏を造った頃の人たちは、仏教を本気で信じてゐたから、盧舎那仏の現世登場によって、疫病は消え、二度と国土は侵略を受けることなく、日本列島に暮らす人々は、その後、世の終はり来るまで、久しく幸せに暮らせると信じてゐた。

密教法具の金剛杵(こんごうしょ)は、ヒンズー教の神様の武具だったらしいが、密教が仏教を邪魔する邪神たちや、人間の煩悩を打ち砕くのに使ふ(仏の智慧の徳を表す)法具としたらしい。

金剛杵のうち、五鈷杵は空海が唐から持ち帰ったものであり、空海像は、必ずそれを手に持つ姿として彫られてゐる。

あれを空海のやうに使ふ人は、もう、ゐないと思ふ。

わたしたちは、宗教を信じるにあたって、とても困難な時代に生きてゐる。
科学が行き渡ってゐる。

「観音菩薩が夢に出て来て、かう言った」
などと言っても、今の人たちは、本気では聴かない。
狸や狐に化かされたと言ってゐる者と同じで、冗談や比喩だと信じてゐる。
もし、その人が本気だとわかったら、そんな人は頭がオカシイと見なす。

そこで、それらしいことを言ひたい、聴きたい人たちは、バシャールとかアシュタールとかのカタカナの外人風の名前の宇宙人や宇宙存在を自作自演するしかなくなる。
けれども、言ってゐることは、夢に出て来た仏さまと大差は無い。
その人の聴きたいことである。

わたしたちは、宗教的には非常に追ひ詰められてゐる。
科学と照合して合致しないものは、やはり、信じることはできない。

量子論的なんとかとか、科学で証明された水からの伝言とかいった、むしろ、科学に媚びるやうなスピ系の人たちがゐるのを見ると、絶望的な気持ちにもなる。

宗教は科学に吸収されて消滅するのだらうか?

経典としての教義が無く、教祖もゐない神道は、あらゆることに科学の権威が行き渡って来てゐるわたしたちの社会の中で、ただ一つ、暮らしの中の宗教として、まだ生きて灯る、小さな火なのかもしれない。

信仰を求める者にとっては、最後の希望となるかもしれない。

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