note写仏部幽霊部員通信②仏教は形骸化してゐる

幽霊だから言ひたい放題です。


弥勒菩薩は兜率天に住むといふ。
兜率天とは欲界の六欲天の第四天。

ここは
歓喜に満たされてをり天寿四千歳。
この天の一昼夜は人界の四百歳にあたるといふ。

…なんて書くとかっこいい?
写してるだけ。
こんなことを仏教ではいっぱい考へてきた。
釈迦入滅後、五十六億七千万年後に、兜率天より出世して、衆生を救ふ、といふ話は一度聞くと人に話したくなる。
面白いけど、なんの意味もない。
意味などないのに意味ありげなヤヤコシイ知識は、魅力的だ。

衒学を好む人にはたまらない魅力を持つ。 
仏教にも造詣が深いってかっこイイ。
三会の説教とか龍華樹とか、かういふことを覚えて人に語る時は、確かに、楽しいだらう。

仏教者にお説教をしてもらふと、ふだんは聞いたことのない、とても難しい、たぶん覚えられないやうな単語が並んだ後、愛だとか思ひやりだとか、毎日スピ系や心理系精神科医系の人たちから耳にタコができるほど聞いてる愛が大切話で締めくくられる。

自分にはわかりそうもない難しいことと、何かいい話を聴いたらしいが、坐禅をした時と同じで、その前と後とで、煩悩の数には変化は無い。
それでも、大僧正など肩書きをぶら下げて意味ありげに笑ってゐる仏教徒たちの得意顔が少し自分にもうつってきてる。

一生かかっても極められない、と思ふやうな膨大な知識の山、だから、生涯勉強は続く、
これが、仏教が宗教としては生命を失ひながらも、
社会から消えてなくならない理由の一つだと思ふ。
形骸化した知識なら、自分を変へる(したがって自分を動揺させ悩ませる)こともないから、安心して一生学べる

写仏するなら、骨董品になった知識ではなく信仰としての生きた仏教、生きてゐる仏、確かに存在する仏性を求めたい。

天使にお地蔵さんを観る、などといったことは素晴らしい、とわたしは思ふ、


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