人が傷つく!の言葉がすべてを終はらせる

でも、ふと考えてみた。
 >小林正観さんの本によると、
 >神様は外見が美しい人がスキ。

ツユねき✧♡

あやのん

ルッキズムといふ用語がヒタヒタと流布してきたから、もうすぐ、この文は著書から削除されるでせう🤭
その後で、
内面の美しさはもっと好き、
とかフォローしてもダメ。
>神様は外見が美しい人がスキ
といふ言葉で、誰かが傷ついたに違ひありません。
政治家の言葉も切り取って非難するでしょ、みなさん?

そもそも、誰も傷つかない言葉なんてあり得ない、けど、この話は、また別の機会に。

モラハラ、パワハラといふ言葉が行き渡って、わたしはすごく助かってます。
わたしは、本人としては一生懸命で真剣なんだけど、うっかりミスが絶えない。
ドジで、なんかどうしても空気読めなくて、どの職場でも出来る女の人やエリート男性たちに叱られることが多かったです。
真剣さが足りないのよ、あなたは!
何度目だ、これ。ふざけるな!
って、叱られるとパニックってわんわんワンコみたいに泣いてしまふ。さうして、恥ずかしくて転職したり(って言ってもバイトや派遣でしか働いてませんが)してたわたし。
もう怒鳴られなくなりました。
ごめんなさい、どうしたらいいですか、わからないんですと懇願したら、教へてもらへることも増へました。
尋ねても、自分で考へろ、と言はれることも、やはり多いですが🤭でも、めっちゃ叱られるとか怒鳴られるとかは無くなりました。
(あたしなんて、平成の頃は、怖いおじさんに、「ナヨナヨすんな、オカマか、お前は!」って、ほっぺバーンと叩かれるのも一度や二度ぢゃなかったの。はい、あたし、オカマです!とは言はなかったけど、嬉しかったわ😄←ヘンタイです)

とても生きやすくなったけど、どうしても怒る叱る忠告しなくてはならない人たちや状況があるといふ現実は取り残されてる。
これは、相手や状況によってはハラスメント(嫌がらせ)にしかならない場合があるといふ現実と繋がってると思ひます。

嫌がらせのために叱る人はゐた。
なんかのかたちで嫌がらせをしたいのが人間だから。

大衆の政治家や会社叩きなんかも、義憤みたいに言ってるけど、根っこはいぢめたい、といふ人間誰もが持つ欲望を、正義の怒りだと自分に思ひ込ませて、満たしてる、とわたしは思ってます。
だって、政治家批判やってる人って、自分は何もしない。
わたしをネチネチ叱るんだけど、わたしが、
どうしたらいいですか?って泣きながら尋ねても、
それはあなたが考へることでせう?
と言って、また叱ってた人と同じです。

相手のためを思ったり、状況をよくしたいと思ってたりするのなら、叱ることを楽しむやうなことにはならない。

場合によってはハラスメントであることを明確にしたのはよかった。嫌がらせでしかない場合は多かったし、何かブレーキが無いと、人は指導や教育の名の下に権勢欲を野放しにしてしまふ動物だから🤭

でも、とにかく、大きな声で怒ったらダメ、どんなときもダメ、っていふのは、思考停止ぢゃないでせうか?
体罰に関しても、絶対ダメ、にしてしまふと楽だけど、思考停止した分のしっぺ返しは免れない。

そんな感じで、ルッキズムといふ言葉もそれが定着して、人権の弾丸として飛び交ふ頃には、
現実の問題について考へやうとすると、
誰かが傷つく!
といふ人権の神様からのお言葉が降るでせう。

そして、外見と内面に対する考察は、二度と出来なくなってると思ひます。

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