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ミニコンポからのララバイ

このブログを書いてみて改めて感じる。私は過去をふり返りながら生きている。なので過去に囚われがちでネガティヴ感がある。
しかし、私は人生を整理している。別にあの世に行こうとしているわけではないが、過去を誇り、現在の質を高め、待ち遠しい未来を作りたいと願っている。
私の両手には、強運と言われる「ますかけ」相があり、中年サラリーマンでありながらも夢を見てやまないのである。

さて前回、悩みがちな人生模様の中、スポーツで自信付けた話を綴った。
そして今回も苦しみの中、私を支えたものの一つの話をしたい。それは音楽だ。

私が通っていた中学校は、5つの小学校から集まっており、400名を越える生徒が同じ学年にいた。
中1のとき、小学校は違うが席が前後で並んだという理由で中学最初の友達ができたように思えた。しかし、中学入学して1週間くらいのある日に些細なことで殴りあいの喧嘩をした。
よくよく聞くと彼はお調子者だが、割と短気でちょっとしたことで殴り合いの喧嘩を小学校時代からよくしていたということだった。そして、翌日には何もなかったように、普通に仲良く話しかけてきた。情緒不安定とはこのことかと思ってしまうが、今となってはそんなタイプなのだと受け入れられる。しかし、当時の私はとても複雑だった。
中学最初の友達であるも、殴り合って本音をぶつけ合うほどのの関係に至ってもなかったし、殴り合ったときの手数が彼の方が多かったのが気にくわず、悔しくて、、、初めて出くわした状況だったので何日も悶々とた思いを引きずった。
そして、中学校に集まった5つの小学校のうち、より田舎方面の小学校出身者の言葉がキツく、スキンシップ代わりのからかい的な暴力が文化となっていることも、当時の私は上手く順応することが難しく、中学入学1ヶ月後には、学校に行きたくなくなっていた。
しかし、私は負けず嫌いで変にプライドがあったため、苦しい素振りはせずに何とか学校に通った。学校が終わり家に帰ってくると、パイプベッドにうつぶせに倒れ込み、ため息をついた。何が変わる訳でもないので、起き上がってみたとき、私の目につくのがお気に入りのミニコンポだった。
以前はラジカセがあったが、ある日の夜、音楽を聴きがら寝ようと部屋の電気を消して曲を流していたところ、変な臭いがして、飛び起き、電気を付けたところ、何と、ラジカセから煙がでていた。
古い物で修理不能であることは明らかだったため、町の電気屋さんで半額になっていた売れ残りのミニコンポを親に買ってもらった。そのミニコンポでシャワーを浴びるかの如く、音楽を聴いてリフッレッシュしていた。


当時、音楽を聴くときの主流はCDやカセットテープで、カセットやCDをケースから取り出し、デッキに入れて再生ボタンを押すというのは毎日のルーティンだった。
そして、学校から帰って、夕食までの時間、フルコーラスで曲が流れるFMラジオの番組があって、好きな曲を録りためた。様々なシーンや気分に寄り添うようなオリジナルプレイリストのカセットテープをダイビングして編集するということは、当時、多くの人がしていたことだと思う。
カセット作りのために聞いていたラジオだったが、リスナーエピソードだったり、それにマッチするリクエスト曲に共感したり、たまたま流れてきた曲が癒しになることがあって、気付いたら、いろいろな年代やジャンルの音楽を聴き倒すようになっていた。
若い頃というのは、とても多感で、辛い、苦しい、悔しい、悲しいなどを敏感に感じるが、音楽や自然などに触れて癒されてばかりだった。
歌詞に感化される曲もあれば、歌詞関係なく、ハーモニーやメロディだけでも明日からの力の糧となり、元気の充電になった。

マクロスというアニメの中で、宇宙戦争の最中にリン・ミンメイという歌手が歌う曲が戦闘中の戦士に届き、良心が動かされるというシーンがあるが、私にとって音楽はそのような意味があって、私の心も愛し難き存在の心も感動で一つにするものであり、音楽の中にいるのは夢の中のようだった。

そして、高校に入ってからは、カラオケやバンドに没頭するようになる。中年ともなると若い時代に聞いた音楽をたまに聴いては懐かしいというのが一般的のようだが、私は息子、娘の影響もあって、今でも古いものから最新のものまでの音楽に興味があり、この件についてはZ世代と対等に話ができるくらいだ。

挿入ソング:


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