元は線路だった遊歩道

先月、函館に帰った時、どうしても旧戸井線跡の遊歩道を歩いた。あと何回あの町に行けるかを思うと、できるだけ再確認せねばという強迫観念におそわれるようだ。
早朝、電車道路を競馬場前まで歩き、新しい道を歩いてみた。産業道路につながる道だった。道の途中に有斗高校が見えたので例の遊歩道を思い出した。本当は取り壊しが決まった戦前の橋の下をくぐりたかったので、東に向かったが、どうやら撤去工事の関係で通行止めになっていた。やむを得ず反対方向を歩いてみた。町名は覚えていないが10代の頃に自転車で通った時の記憶だけは鮮明。両脇の住宅もどこか昭和で時間が止まった感じ濃厚。こういうことに安堵する自分。花園町下あたりの国家公務員住宅は50年以上変わらずにある。未就学児童の頃からあるのは間違いない。
やがて国立病院の下を斜めに横切る。また昭和スタイルの住宅が目に入ってくる。かつての同級生の実家に今は誰が住んでいるのだろう、などと思いつつ。遊歩道は工業高校の裏手前で終わるが、旧戸井線は道路として昭和までは続く。(厳密には並行している箇所も多いが)
田家町と富岡町の境目にはコンクリートの鉄道橋が道路(旧名称は赤川通り)を跨いでいた。というか道路が線路の下をもぐる形で坂になっていた。
さらに国道5号線と交差する辺りまでは、小学か中学の頃まで線路跡が残る土手があったのは確か。昭和50年あたりの地図なら確認できるはず。
懐古爺の楽しみ。

今はわからないけど、この先に銭湯があったような。

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