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あえて忘れる座右の銘~24卒就活・院試体験記③~

「Stay Gold, Go Giver」

私には座右の銘としている言葉がある。
それは某企業の企業理念である。

過去との訣別の意思のもと、
その言葉を胸に過ごしたが、

その末に自身の未熟さを痛感した。

当時の私は熱に魘されていたのだろう。


ガクチカを計画的に作った


時は遡り
学部2年秋頃、部活動・サークルが少しずつ再開し始める。

アカペラサークルの活動は再開するかと思ったら頓挫した。

コロナ禍で先輩も同期も居なくなり、運営体制は崩壊した。

辛うじて役職を振られた同期が踏ん張り、
やる気に溢れた新入生が食い入るように参加し、

新たにサークルを再建させようと、
残ったメンバー一同、足搔いていた時期である。

私は役職の無いヒラ部員だった。
ただ、やる気だけは空回りしていた。

アカペラサークルでは曲のカバーをすることが多い。
曲をアカペラ用に編曲して演奏する。

当時、アカペラサークルに実用的な楽譜は乏しかった。

そして、私はこんな計画を立てた。

「編曲を習得し、実用的な楽譜を増やし、最終的には編曲マニュアルを作成し、就活のガクチカにする。」

ガクチカとは「学生の時力をいれたこと」の略称であり、新卒就活でよく聞かれる質問の一つである。

実用的な楽譜が増えれば、サークル活動の満足度は上がるだろうという根拠のない確信の元、うりゃー! っと頑張った。

やっていくうちに、段々楽しくなってきた。

修正含め100曲近く扱ったのは最早狂気だったかもしれない。

気がつけば、アカペラ界隈自体にも夢中になっていた。

そして、学部3年の6月頃、計画通りにマニュアルを完成させた。
自力で楽譜を供給出来れば、自分の好きな曲を演奏する機会が増える。

そうなれば、この組織の未来はより良くなるだろうと信じて。

サークル員からは「実用的な内容」と称された。


学部4年、進路が決まった今だから今だから言えることがある。

当時の私はまた同じ轍を踏んだ。

周囲にアカペラ編曲や作曲方面で詳しい人がおらず、一人で闘った。

前回の記事にて書いた「AI・データサイエンス人材育成プログラム」にて、

周囲に頼れる人がおらず、1人で闘い苦労したという反省が数ヶ月前にあったにもかかわらず、こうなった。

この自分で作成したマニュアルについて、
実用的な内容とは言われたが、

ネットで出てくる情報より有用だと自負していたが、

正直なところ、現在はこの本を見た方が早い。
(この本が自分の手元に来たのはマニュアルを作成して数ヶ月後だったが)

マニュアルを作成して1年以上経った今、私が作成したマニュアルはお蔵入りになった。

後輩は外部講師を呼んで、編曲を習い、かつて私が成し遂げたかったことを達成した。

私はこれを知ってほっとした。

私の目的は「ガクチカを作ること」と「サークルの満足度を上げること」である。

そして、後者は未達成だった。
いくら周囲に褒められようが、マニュアルが未熟なのは自分でもよくわかっていた。

その悔いを晴らした後輩に心の中で拍手を送った。


それと同時に「やっぱり外部に助けを求めるべきだった」という
AI・データサイエンス人材育成プログラムの時と全く同じ結論に至った。

まぁヒラ部員が外部の人を呼ぶような権限は無かったので、

「自分だけでも」という意味合いが強いが。

就活仲間が居なかった

現在からもう一度時を遡り、学部3年5月頃。

体調不良と不運とその他いろいろによりサークルに3ヶ月間参加出来なくなった。

自分は好きなものがわからない状態から、大学生活を通して、

アカペラとプログラミングという趣味を得た。

そして、その片方を一時的に失った。
私にとって、そのショックは結構大きかった。

現実逃避の為に就活サービスに登録し始め、就活に向けて動き出したが、クラスにも、部活の同期にも就活をしている人が居なかった。

私の周囲は大抵院試予定か、国家資格を受験して専門職種を目指すか、公務員試験を受けて公務員を目指す予定の人しか居なかった。

そして、情報と仲間欲しさに就活コミュニティに課金してしまった。

参加に際して、そこで得た人脈によって得たことは多くあるが、

「当時の自分は大分弱ってたんだな」と、ふと思う。

当時の私にとって、就活は現実逃避だったのだ。

就職活動ではなく、現実逃避活動をしていた。

(現実逃避活動中にTECH-BASE Engineeringインターンに参加した。詳細は前回記事にて)


もし、就活コミュニティに課金を考えている人がもし居るのならば、

「仮に後に騙されたと思うようなことがあったとしても、その人を恨まずに済みそうな人柄の人を選べ」と言いたい。

私はその基準で選んで、それに参加したしたことに後悔はないが、

「これは手放しに他人に勧められないな」という思いもあった。

そこのコミュニティで、
AI・データサイエンス人材育成プログラムの2期生と出会ったり、企業イベントで出くわした人に再会したりしたので、

割と世間は狭いのかもしれない。

「理想を描き現実を創造する」

これがそこでの教えだった。


座右の銘

「Stay Gold, Go Giver」

OfferBox経由で出会った
とある企業の理念である。

その企業と肌に合わない気がして選考を見送ったが、

企業理念を座右の銘にしてしまったり、
説明会での「まずは長期インターンシップをしてみよう」という助言から、とある企業でアルバイトを始めたりと、

私に与えた影響はデカかった。

「Stay Goldで在るには自らを満たす必要がある」

……ならば、今の望みや理想を叶えるためにやるべきことは何だろう?

自ら輝き、他人を輝かせる者であれ

私はその理念を体現しようと振る舞い
アカペラサークルにおいても就職活動においても一定の成果を出した。

アカペラサークルにおいて、バンドの雰囲気作りに徹して、一緒に活動してくれた人から「楽しかった」「また一緒にやりたい」と言ってもらえたり、

就職活動において、複数社内定を貰ったりした。

しかし、当時アカペラサークルの同期(幹部)から言われたこの言葉に違和感を感じた。


「なんかね、ちゃんと笑うようになってくれて、なんか嬉しいのよ」




……私はちゃんと笑っているように見えたのか

……そうか

私は……笑っているのだろうか?



私はまだ、自分を知らな過ぎた。

そして、この理念の解釈も恐らく履き違えていた。


私は好きなものがわからないままの人間だったのだ。

いや、好きなものを好きだと言うことを許さない人間だった。

自身の望みを知らぬままの人間だった。

自分の満たし方も知らぬ人間だった。




「Stay Gold, Go Giver」

これを意識している限り、
これを真の意味で体現することは出来ないのかもしれない。


つづく

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