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就活を辞めた④〜24卒就活・院試体験記〜


就活を辞めた。

内定はいくつかあった。
その内定に納得のいくものは無かったが。

ただ、疲弊していた。


就活を辞めた理由は消極的だった。


仲間ってなんだろう。

就活って新たなコミュニティに参加する為の活動とも言い換えられる。

部活だろうが、クラスだろうが、就活だろうが、

内輪ノリに入れないもどかしさを感じていた。

私は内輪ノリの安心感を知らない。
どこかそれを渇望していた。

それが空虚だろうと薄々感じながら。
いや、これはぶどうは酸っぱい理論なのかもしれない。

わからん。

関わりたい人とは
「自分から関わりに行くしかない」

それでも、
「既に長い時間を共にするチャンスを得た人と比較して、絶望感を感じてしまう。」

だが、そのチャンスを手にしていたとして、「チャンスをモノにするだけの実力は私にはあったのだろうか」

新卒就活は
これまでの環境を一新する為のチャンスの1つではある。

だが、就活でコミュ力やチームワークを問われる度に、どこか偽っているような感覚があった。

初対面の人でも打ち解けられるような、或いは論理的に話すようなコミュ力は持ち合わせているかもしれない。

チームでの活動は大学の実験及び実習、アカペラサークル等で経験だけは沢山ある。

だが、関係を継続できない。
……この表現だと語弊があるな。

関係が際立って悪くなることはあまりない。
大抵、ほぼ誰であっても、話せば話せる程度の関係は維持される。

良くも悪くもない平坦な関係が続き、やがてフェードアウトされる。

私は「やりたいことや好きなことを表明できない」

故に、世間話と膨大な雑学だけで話を進める。

人は「感情を共有して仲良くなるらしい」
それを最近知った。

恐らく周囲は「私が何に関心を持っている人間なのかわからない」からフェードアウトされるのだろう。

相手が「好き」を語る時に「据え置いた雑学」で返答し続けている人が居たら? 

どうやら、だんだん気を遣われてると思われて、気を遣ってフェードアウトするらしい。

また、「仲間への渇望」も要因かもしれない。

相手に「よくわかんないけど、なんか重い」と思われてしまっていたのかもしれない。

就活テクニックに「自分の意志を示せ」「感情を語れ」というものがある。

「自分の意志を示す」のは怖かった。
いや、自分の意志すらよくわからなかった。

感情ってものは、論理で切り刻まれて、
その原型を留めていなかった。

もはや、当時の私はなぜ内定を獲得していたのだろう?

「私という人間のモチベーションが何か?」を掴みようがない状態で私を採用しても

ただの賭けではないか。

そもそも、コミュニティの中で浮き続けた人間を採用しようとしたところで、企業にとってリスクではないのか?

こんな感じで、自信を喪失し始めた。

大学生活をしていると、人生の山場は中学及び高校だったと口にする人がいる。

私にとってはどん底だった期間だ。


今までの人生で最も恵まれた環境。
かつて願った平穏を得られた日常。

「人生を打開する為ならなんだってやってやる」

そんな熱量は尽きかけていた。

たまたま履修していた臨床心理学の副専攻。
なまじ成績が良かったので、臨床心理学分野の大学院の推薦入試が受けられるようだ。

なんか、それに流された。

「臨床心理学をやる自分」に違和感を感じながらも。


当時の自分は
まさかこの先、院試を辞めて再び就活して院試するなど思いもよらなかった。


つづく

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