丁寧な暮らし 未来の在り方になるということ
これは2023年11月5日 Xへ投稿した日記です。
【朝日記】
私、最近思ったのですが ちょっとだけ丁寧な暮らしをしています。
朝早く起きて、散歩して、ヨガをして、瞑想して、掃除して、いらないものを捨て、コーヒーを飲んで、勉強をして、ご飯をたべて、仕事して・・(たまにカップラーメンも食べ、夜更かしもするので「ちょっとだけ」です)
いつからそうなったのか? 振り返ってみたらわかったことがありました。
丁寧な暮らし・おしゃれな暮らし な〜んかあこがれますよね
ちょっと前の私は、毎日時間に追われ働き、そんな自分とはまったく違う速度のゆったりとした時間を過ごしている人達をみると、どうももどかしく、苦手でもありました。
じっくり手間をかけた手作り料理よりも3分で出来上がるカップラーメンのほうが時短でうまいじゃないか!しゃらくせえ!私は働く!じゃあな!と思っていました。
でも、憧れていました。
悔しいけど、ああなりたいとおもっていました。
認めたくなかったけど。
憧れ、同じ生活スタイルをコピーするのは悪いことじゃないけど、上辺だけだとそのうち歪みがでてくる。 1週間もせず返って物で溢れかえって部屋が散らかったり 反動でジャンキーな生活をしたり(それもそれでいいけど)
私も過去に同じことをなん度も繰り返しては、ああやっぱり自分はそっちの世界にはいけないのか、と嘆いたものです。
今、その時憧れていた生活をちょっとだけ、しています。
憧れていた生活を真似ようとも思っていなかったのに、いつの間にかそのような生活が「普通」となっていました。
過去の私と今の私が何が違うかというと やっぱり「在り方」です。
「何に重きをおいて」結果的にその生活スタイルになったのか、信念・在り方が、当時憧れていた人たちとリンクしている感覚があります。
結果同じ生活スタイルにならなくても その人と同じ視点で立てるようになる そして自分オリジナルのコピーではない良い時間が持てるようになる。
本当にあこがれていたのは、おしゃれな生活・丁寧な暮らしではなくここだったんだ。と気づきました。 (なので、真夜中にカップラーメンを啜る自分も、たまに部屋を散らかす自分も「その自分の在り方」から外れていません)
ちなみに、私は何故この暮らしに至ったかというと 誰の物差しも使わず自分が気持ちが良い・楽しいという時間を何よりも優先していったからだと思います。
最初はトライアンドエラーでした。
おしゃれなカフェに行ってみたり、お金をたくさん遣ってみたり、ポジティブな話ばかりしたり、アクティブに動いてみたり、甘いものをたらふく食べたり、筋トレしたり、ゴロゴロしたり、一日中ぼーっとしたり やってみて嫌だったことをやめ、心地よかったことを採用していった先に、自然と今のスタイルになりました。
そして、気づいたら前に憧れていた丁寧なくらしをちょっとだけ、してたんです。 (気づいたら流れる時間の速度も大分ゆっくりになっていって、諸々の悩みもどんどん解決していきました)
何故ここで、こんな話をしたかというと 願望実現でよく言われる「在り方」って どうにもこうにも、毎回言葉にするのが難しいんです。
説明するたびに言語化のしかたが違うので迷われるかたもいらっしゃるかも。
でも、いま丁寧なくらしがちょっとだけできている自分が「在り方」を言語化するのであれば、 現実関係なく(部屋が散らかっていても・借金地獄でも・音信不通でも・人間関係が劣悪でも) 「なりたい自分と同じの視点の高さ」に立つこと それが「その在り方になること」です。 叶った自分と今の自分を先にリンクさせることです。
在り方が変わると、それに伴い現実は動いてきます その在り方に沿った人物・物事・時間が目の前に現れます。
ですが、先にリンクしていると、そんなことは「気づいたらそうなっていた」みたいな感覚で受け取れるんです。 今ちょっとだけ丁寧な暮らしを自然としている私が 過去に切に願っていた願いが、当たり前に叶っていっているように。
この日記が皆さんにとっての「在り方」のヒントになると幸いです。
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