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悔い改めて生きよ

[サムエル記 第一 20:32]

ヨナタンは父サウルに答えて言った。「なぜ、彼は殺されなければならないのですか。何をしたというのですか。」

今日の聖書箇所 
Iサム20:24〜34

今日もサムエル記から恵みをいただいていきましょう。

ダビデは王の前に出なければならない新月祭を欠席します。そしてサウルはその理由を問うのですが,ヨナタンはダビデに言われた通り,ダビデは自分の家族のもとに行ったと答えます。それによってサウルの真意を探るためです。

サウルは激しく怒ります。そしてダビデをかばうヨナタンを激しく呪います。

[サムエル記 第一 20:30,31]

サウルはヨナタンに怒りを燃やして言った。「この邪悪な気まぐれ女の息子め。おまえがエッサイの子に肩入れし、自分を辱め、母親の裸の恥をさらしているのを、この私が知らないとでも思っているのか。エッサイの子がこの地上に生きているかぎり、おまえも、おまえの王位も確立されないのだ。今、人を遣わして、あれを私のところに連れて来い。あれは死に値する。」

サウルは自分と息子ヨナタンの王位を守るためにダビデを殺すことを固く決意していることを明らかにするのです。それに対してヨナタンは反対になぜダビデが殺されなければならないのか?ダビデが何をしたのか?と問うのです。

そのようにダビデを擁護するヨナタンにサウルは怒り狂い,投げ槍でヨナタンまで殺そうとするのです。

[サムエル記 第一 20:33]

すると、サウルは槍をヨナタンに投げつけて撃ち殺そうとした。それでヨナタンは、父がダビデを殺そうと決心しているのを知った。

サウルはヨナタンの王位を守るためにダビデを殺すと言っていたのですが,そのヨナタンさえ撃ち殺そうとするまでに怒り狂うのです。サウルは理性を完全に失って,自分が言っていることを自分で否定しています。

なぜサウルはこれほどまでに怒り狂ったのでしょうか?それはヨナタンが言ったことがまさに真理だったからです。ダビデには何も悪いところはなく,ダビデが死なななければならない理由は一つもなかったのです。

反対にサウルこそその罪のゆえに死に値する者でした。ヨナタンはまさに真実を告げたのです。サウルも本心ではそれを知っていたのでしょう。しかしその良心の声を否定し,自分は正しいこと,必要なことをしていると自分を騙し,自己正当化していたのです。ヨナタンの言葉はそのうそを暴くものとなったので,サウルは怒り狂ってしまったのです。

サウルは今までもこの自己欺瞞,自己正当化を続けてきたのです。それが悪魔の罠でした。それゆえサウルは決して悔い改めようとはしなかったのです。悔い改めを拒むなら,罪に罪を重ね,嘘に嘘を重ねるしかなくなります。

その結果はどうなったのでしょうか?自分だけではなく,一族全体の滅亡を刈り取ってしまうことになったのです。

そして私たちの古い肉も常に自己欺瞞し,自己正当化しようとするのです。しかたがなかった,しょうがなかったとああだから,こうだからと自己正当化しよとし,悔い改めようとはしないのです。そしてその背後で悪魔がそうだ,そうだ,お前は悪くないとそれを煽り立てているのです。そして私たちが悔い改めないようにして神からの赦しと癒しを受け取れなくするのです。

このような悪魔は私たちの中に自己防衛,自己正当化という要塞を築き,それを日々より強く,大きくして,そこにしっかりと住み着き,私たちを盗み,殺し,滅ぼしていくのです。

この要塞を砕き,私たちを悪魔の支配から解放する神の武器こそ悔い改めです。そしてその悔い改めをもたらす力こそ神の言葉,真理の御言葉です。真理の御言葉の光に照らされ,初めて自己欺瞞,自己正当化できなくなるほど罪が明らかになるからです。

その時に悔い改めることができるなら何と幸いなことでしょう。しかし怒って真理の御言葉を否定していくなら,何と悲しいことでしょう。悔い改めるなら生きるのです。しかし御言葉を否定し,最後まで悔い改めを拒むなら死ぬしかなくなります。

しかし私たちは強情な者で,頑なな者で素直に悔い改めることができない者です。罪が分からない者であり,罪が分かっても開き直るような者です。それゆえ悔い改めの恵みを祈り求めることはどれほど大切でしょう。

そうです。悔い改めることは私たちにはできないのです。それは聖霊さまが与えてくださる最高の恵みであり,賜物なのです。

次の御言葉を心に刻み,心頑なになることなく悔い改めることができるように聖霊さまの恵みを切に祈り求めたいと思います。

[エゼキエル書 18:23]

わたしは悪しき者の死を喜ぶだろうか──神である主のことば──。彼がその生き方から立ち返って生きることを喜ばないだろうか。

[詩篇 95:7,8]

まことに 主は私たちの神。私たちは その牧場の民 その御手の羊。今日 もし御声を聞くならあなたがたの心を頑なにしてはならない。メリバでのように荒野のマサでの日のように。

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