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型紙屋 polka drops の「失敗✖️20年」

ネットで洋服の型紙を販売していた polka drops 元店長です。
2022年8月、20年続けたオンラインの型紙屋さんを一旦、終わらせました。
もう随分、忘れちゃったこともあるのですが、その中でも失敗の経験はそこそこ記憶にあります。これは私の商売上の失敗の記録です。

自分の失敗について書くことについては、私は性格的に平気だと思っていたのですが実はそうでもありませんでした。これの1本前のnoteを書いていた時に、自分の失敗をちょっとだけ書くところがあって、大した話でもないし、ほんの少しだけなのに記憶と感覚がフラッシュバックしてきて、真剣に消そうかと思ったくらい恥ずかしくなりました。書き始めてわかるけれど、自分の失敗が文字になるのは、思ってる以上に嫌なもんですね。

それなのに今回、自分の「失敗」をわざわざ思い出して書こうとしている。

なぜそんなことをしようと思ったかというと、人の失敗の話は役に立つからです。人ってそもそも失敗からしか学べない、なぜなら成功には再現性がない(成功例を読んで真似しても同じように成功することは稀だ)けれど、失敗には再現性がある(失敗した例を真似するとたぶん皆が同じように失敗する)からです。
要するにそこには確かな教訓がある。
自分のこの貴重な失敗を忘れないようにしたい。
商売をしているとか、ソーイング系の仕事とか、参考になる人もいるかも。

無料部分合わせて、合計で13000文字ほどです。
文字数は多いけれど、さくっと読めると思います。
最初の方は無料で読めます。
特定のショップさんの名前も少しは出てきますが、別に攻撃したりとかはしていないです。そういう裏話的なことはありません。
黒い気持ちを吐露したりは、多少しているかも。

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2001年、29歳、私は東京で一人暮らし、自営業でした。
結婚が決まり、私は仕事を辞めました。
旦那に「専業主婦して」と言われたので。
私は我が強い性格ですが、初めてのことにチャレンジするのは好きだったので、専業主婦にも興味を持って、わかったー!と軽く辞めました。
(会社員ならキャリアが途切れるのを気にしたかもしれませんが、私はその頃すでに自営業で、辞めてもまたいつでも始められると思っていました)

子どもが生まれて半年くらい経った頃。
旦那「会社を辞めたい。こんな無機質な仕事(コンピュータ関連)は嫌だ。人に直接喜んでもらえる仕事をしたい」と言い、介護士になる事に。
旦那は会社を辞め、1年近く無職になり、かつ学校に通って資格を取るための出費や、転職しても給料がこれまでの半分になることによる経済的事情の悪化から、義両親の家で同居をすることになりました。

私はお金を作ろうと思って自分や旦那の持っていたあれこれをヤフオクで売り、フリマに行ってブランドものの子ども服とか、レトロ系の食器などを安く仕入れてヤフオクで転売する「せどり」などをしていました。

私は、旦那の転職に慌てこそしたけれど、特になんというか、心配はお金のことだけだったのでとりあえず手元にあるものを売ってれば良かったんですが、一番辛いのは旦那だったはずで、家族がいて働き手が自分だけという重責、嫌でしょうがない仕事をするのも辛いわ、辞めると言い出しにくいわで相当葛藤したはずで。2人で働けば、経済的にだけじゃなくて精神的に楽な転職ができるということが目に見えてわかり、それなら私も働いた方が良いなと思いました。

でも目の前には0歳児、家から出ることは難しく、とりあえず内職でもやろうと思って市役所に行きました。
ミシンができると「時給200円くらいの」「昭和っぽいマスコットなどを作る」「内職にしては割の良い」仕事は手に入ったんですが、そのマスコットがあまりにもダサくて、時給200円の代わりに何かを失う気がして、どうしても割り切れず内職は断念。

1、2002年ネット起業

そこで自分のスキルを活かして家で何かしようと思ったんですが、私のできることは「縫うこと」と「ホームページを作ること」のみでした。
とはいえ今思えば、いい感じのスキルでした。
ホームページを1日で作って、自分が縫ったものの写真を撮って、値段をつけてアップロードしました。見てもらえるのか?とか売れるのか?とか何も考えずにただ、今できる能力で、やれることやっただけみたいな。
とても起業と呼べるようなレベルではありませんでした。
当時はホームページに訪問者数をカウントするカウンターなんかつけてるような時代で。訪問者数1日に2人とかでした。

次の日にたまたま当店パタンナーとランチをしたので、ホームページを作った話をしたら「私もやりたい」と言い、じゃ2人でやろうか、とその場で決まった、そんな感じです。

2、資本金2万円

まず何から始めたかというと、自分達で適当に作ったものを売りつつ2人で1万円ずつ出しあって、ユザワヤに行って生地を買い、幼稚園バッグを作って売るところから。
ホームページの閲覧を増やすために、当時ランキングサイトっていうのがあったんですが、ソーイング系のランキングサイトに登録して、そこから少しずつ来訪者が増えて行った感じです。
当時はネットで何かを売っている個人そのものが少なかったので、何か出すと希少価値ですぐ売れたんですよ。規模こそ小さいけれどスタートはスムーズでした。

3、型紙屋は偶然

当時の私は生地や型紙がネットで販売されていることすら知りませんでした。それくらい何も情報がないところから始めたって感じです。で子ども服かなんかを縫って出した時に「型紙は売ってないんですか?」って聞かれて、そこで初めて型紙って売れるんだ!ということを知ったのと、時を同じくしてパタンナーに赤ちゃんができたので「産休中、型紙ならコピーしたら売れるやん」となり、型紙販売を即採用。とはいえそのまま型紙屋になるとはまさか思いもよらずでした。

型紙を作れるから型紙屋になったのではなく「よしそれだ!」って採用してから、型紙ってどうやって売るの?っていう感じでしたので、当時は未熟すぎましたね。青焼きってわかりますか?パターンを青写真感光紙に焼きつけたもので、当時はそれを複製して売っていました。
仕様書(縫い方のレシピ)はWindows にプレインストールされていた、コピペや反転すら満足にできない「ペイント」ってソフトで作っていました。クオリティが低すぎます。でもできることをただひたすらやってて純粋でした。懐かしすぎますね。

4、2ちゃんねるで炎上

2005年2月19日。覚えているのはその日が息子の3歳の誕生日だったからなんですが、当店が2ちゃんねるで炎上しまして。ひとつはたぶんなんですが、デザインのパクリ疑惑で、もうひとつは当時なかなかの勢いで型紙が売れてたんですが、2人でコツコツ型紙を折りたたんで袋に詰めて発送してたので、販売も発送も月に800個くらいが限界で、もちろん限界まで用意するわけですが、それでも月1回しかない販売の、開始15分で売り切れてしまう。その不満が溜まった人からの攻撃を受けました。

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