家庭環境が呪いとなる可能性

食事事情
世間的には宜しくないでしょうが、自分、基本的に1日1食で、どか食いのような食べ方をしています。

たまにお菓子を摘んだり、飲み物はちょくちょく飲んでいるものの、基本的な食事は1回だけで、それも起きてから9~12時間ぐらい経って、ようやく摂る感じです。
時間的に考えると、朝食というよりはむしろ夕食に近いかもしれません。

朝食を摂ることの重要性を警告する話が流れてきますが、それとは真逆です。

このスタンスが1番体調が良く、朝昼晩にしっかり3食を摂ると、あまり調子が宜しくありません。起床後は食欲がありませんし、そんな状態でご飯を詰め込んでも、胃が重くなるだけです。

単に、胃腸が弱いだけかもしれませんね。
医学的には、3食をしっかりと摂ることが重要と云われていますから、これはあくまで自分の感覚や体調の問題なのでしょう。


家庭環境
この10数年はそんな食生活を送っていますが、子どものころ、実家暮らしだった頃は違いました。
1日3食、必ず食べなくてはいけません。
食欲が無かろうが、関係ありません。
食事を抜くという事は、許されない家庭でした。

貧困や食糧不足などの問題と比べれば、なんと有り難く贅沢な話でしょう。
しかしそのせいで、自分は体調が芳しくなかった可能性があります。

世間や世界的な問題も大事ですが、自分個人に関しては、自分事のほうがより重要な問題です。
世間や世界的な問題のために、自分の体調を崩す道理はありません。

ともかく。
そんな家庭環境でしたから、子どもの頃は丸々と太っていました。
肥満児ということで、学校側から問題視されていたことだけは覚えています。


注意点
そうは云っても、直接の原因というよりは、家庭環境がその一因になっていた、が正しいでしょう。
直接的原因であれば、実家を出た時点で体重は落ちていたはずですから。
ただ、その割合は大きかったかもしれません。

太ったり、激痩せした結果、現在の体重は60キロ後半をウロウロしている感じです。
現状の体重を維持できていることも、1日1食のどか食いという食事事情が、自分に合ってる証と云えるかもしれません。


習慣を脱却
実家にいた頃は、食事を抜くことが許されませんでしたし、実家を出てからも、3食はしっかり摂っていました。

しかしある時、ふと思ったのです。
自分1人の食事なのだから、食べたいときに食べて、食べたくなかったら食べなくてもいいのではないか。

自分の体調は、自分が1番認識できます。
食欲がなければ、無理やり食べる必要はありません。食べないことで、誰に迷惑をかけるわけでもありません。

家庭環境という習慣を破る発想を閃いた結果、現在のスタイルに落ち着いたと思われます。
思い通りの食事サイクルに変えてみたら、体調を崩すことや不快感もなくなり、食べなくてはいけないという強迫観念も消え去りました。
と云いますか、無くなって初めて、強迫観念があったことに気がついたのです。

この結果だけを見れば、育ってきた家庭環境が自分には合っていなかったように映ります。


自身と環境
自分は食事でしたが、他の場面でも似たよう事があるのかもしれません。

育ってきた環境や習慣が、実は自身には合っていない可能性。

自身の気持ちと照らし合わせた時、無条件に従って繰り返してきた行いがズレているというのは、誰も意図しない呪いなのかもしれません。
意図しないからこそ、呪いになっているかもしれない何かを見つけ出して、抜け出すのは難しいのかもしれません。

どうにも狙い通りにならない場合、もしかしたら、そんな根本なところに問題が存在している可能性だってあります。
自身の根っこから疑ったり変えてみるのは、有りだと思います。


ただし
自分が痩せたり、今以上に太らずにいられるのは、他にも要因があります。
例えば、転職して生活リズムが激変した場合、食事サイクルが変わるかもしれませんし、変わらないかもしれません。

あくまで、現在の環境や生活リズムが功を奏した結果、現状を維持できているのかもしれません。

何事も、たった1つを原因に考えるのは危ういという話です。



ようやく暑さが和らぎ始めたので、運動をする気が起きてくれたら嬉しいなぁとジョギングシューズをチラ見しているオジサンの与太話でした。

お時間をいただき、ありがとうございました。

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