教わるときの心構え、というか割り切り方

教える・教わることについて、思っていることを幾つかまとめてみましたが、基本的には『教える側』の目線でした。
今回は『教えられる側』で考えてみたいと思います。


教わる側からすると、教えてくれる人というのは、何でも知って仕事ができる完璧超人をイメージしそうです。
確かに、全く知らない業務やら内容やらを説明してくれるのですから、自身などと比べれば、とても頼りに見えるでしょう。

しかし、教える側視点でもまとめましたが、教え方にも、センスと云いますか技術が必要になります。
ですが、実際にはそんな技能を身につける余裕などなく、場当たり的に教育係を任されることがが多いでしょう。

つまり、教えてくれる先輩は、仕事はできても教え方はうまい人ではない、という可能性があることを認識しておくべきだと思うのです。


教えてくれる人を、馬鹿にしたり蔑ろにしろというのではありません。
教えてくれる人のことを、無条件に完璧超人のような存在に思い込んでしまいそうですが、現実には、欠点や苦手がある普通の人なのです。
普通の人ですから、教え方にもミスもありますし、言いたいことがよく分からないという場合もあるでしょう。
自身もミスするでしょうが、教育係も失敗はするのです。

仕事が覚えられないと、自身に問題があるのではと思い込んでしまうかもしれませんが、もしかしたら、教え方のほうもマズイのかもしれません。
双方がミスっていた場合、当然、上手くいくことはないでしょう。

何も分からない新人だと、とにかく自身が間違っている、悪いのだと思ってしまいがちですが、よくよく観察してみれば、教える側の不手際ということも少なくありません。

そんなところまで手に追えるわけがありませんから、不必要に自身を苛んだりすることはありません。
自身に落ち度やミスがあった場合に、反省するだけ十分です。
おかしな言い方ですが、自身が大人になって、教育係の失敗も受け止めてやるぐらいの心意気でいいと思います。


さて、それでも厄介なことがあります。
アタリの人が教育係になってくれたらめっけ物ですが、世の中には当然ハズレもいます。
教え方が壊滅的な人だった場合、チェンジなどと言えるはずもありません。もし言える方は、それはそれで大変そうですが。

ハズレを引いてしまったら、とりあえず現状での最良を目指すしかありません。
先ほどの大人の対応もその内の1つですし、とっとと仕事を覚えて、独り立ちしてしまうのが吉です。

教育係が当てにできないなら、全体を観察して勉強するしかありません。
他の人にも確認ができるなら、積極的に訊ねてみるのもありです。
それができそうにないなら、他の人がどのように動いているのかを観察して吸収する手もあります。こちらは文字通り、見習いというやつです。


教育係も、環境も、もしかしてロクでもないのでは――?
世の中、そのような話もちらほら見かけますね。
そんな疑念が浮かんだら、一度客観的に周囲を見直すか、家族や友人に相談するのもいいでしょう。現代ならばネットでもそれなりに意見を募れますが、基本的にネットは話半分で受け止めたほうがいいです。

この話も、ですね。

新しい環境だと、知らないことが多すぎる上に、思いの外、視野が狭くなり、自縛的な思考に陥りがちです。
冷静に見直して、あまりにもおかしいと感じたならば、とっとと辞めるのもありだと思います。


効率を求める世の中なら、人を育てることにも効率を求めてほしいと思わなくもないです。
そんな与太話でした。
お時間をいただき、ありがとうございました。

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