理解するのは、簡単ではない

ずっと目を通し続けて、読み返してきた説明に、ある時突然、『あ。そういうことだったのか』と閃くこと、ありませんか。
自分だけなんですかね、これ。

単に物覚えが悪いだけなのか。
それまでの自分が、ただ節穴だったのか。
覚えた気になっていただけだったのか。

原因とは1つとは限らず、複数の要因が絡まっているものだと考えているので、多分全部乗せなのだと思います。

最近そんな出来事が続いて、理解する・覚えるとは一体何なんだろうと思った次第です。


中学英語をコツコツと学び直している最中ですが、使用しているテキストには、都度都度テストが差し込まれています。段階が少し進む度に、直前と一つ前に学んだ内容の、2つのテストが用意されており、1つ前の内容になると、いい塩梅に記憶が抜け落ちて、一歩進んで二歩下がる具合です。

間違えたり、問題内容そのものを理解できていないと感じたら、その度に戻って、どこを間違ったのか、何を理解していないのかを、一から確認する繰り返しです。
ときには、随分前の内容まで戻る場合もあり、そんな調子ですから、テキストは遅々として進みません。

そんな流れで、2度3度と同じテキストを読み返していると、ある瞬間に、何を説明しているのか、用語の意味や意義、使用法の注意点について、途端に説明が腑に落ちる瞬間があるのです。

この瞬間に閃きを感じるのですが、しかし、云ったようにテキストの内容は変わっていません。全く同じ内容を3度読み返して、ようやく説明を理解できたのです。

1、2度目の読み込みは、何だったのでしょう。


ストレッチの本を、時折確認し直しています。
記憶だけで繰り返していると、どうしてもポーズが崩れていったり、余計な動作が混ざって、肝心の部分への効果が弱まってしまいます。
ですので、たまに見返しては、ポーズや注意点を再確認を行っています。

そうしていると、新しい注意点の存在に気づくときがあります。
これも英語の勉強と同様に、何度も見返してきましたし、同じ本ですから内容が変わるはずがありません。今までも記載されていたはずなのに、数度の見返しでようやく気がつくのです。


共通するのは、どちらも同じ内容を、繰り返し確認したり読み返してきたのに、何度目かになって、そこで初めて内容の理解に至った点です。

なぜ、1、2回で理解できなかったのでしょう。
何かを理解するというのは、本来そういうものなのか。
はたまた、自分の能力がその程度でしかないのか。
この辺りの屁理屈を考えると、どんどんと変な方向に進んでしまいそうなので、一旦、置いときます。


そんな自分と同程度の方が、どれくらい世の中にいるのかは分かりませんが、ともかく、この程度の人間は此処に一人存在しています。
『理解する』という行動に、それくらいの時間や労力がかかってしまうものだと認識してもらえると助かります。

ここから新しい才能を開花、もしくは改造するというのは難しいでしょうから、現状の自分を把握して、この状態から何をどう出来るのか、その方法を模索するしかないでしょう。

自分の場合は、とにかく不明を探して、それを潰しながら何度も繰り返すしかないのでしょう。そうして、ようやく他の人の理解力と同等のスタートラインに立てるのかもしれません。


できれば、もっと若い内に自分の扱い方を把握しておきたかったなぁと思ったりする与太話でした。
お時間をいただき、ありがとうございました。

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