あまり進歩が無いような気がするのは、気の所為であってほしい

ソフィストと、そこに纏わる紀元前のギリシア関連の諸々について書かれた本を読んで、幾つか思いました。
その中で、特に気になったのが、言及されている人たちや作法の内容が、SNSなどでよく見かけないか、ということです。

・何も知らない人たちを相手に、知ったかぶりをする。
・例え真実を知っていたとしても、それだけで上手に説得できるわけではな 
 い。
・真実の正義は何であるかは必要なく、正邪を判決する大衆が何を正しいと
 考えるか。
・正邪善悪の真実に関わる必要はなく、説得的であることだけが問題

とりあえず、自分が線を引いてまで気になったらしい、幾つかを抜き出してみました。
どうでしょうか。人なり場面なり、何となく連想するものはありましたでしょうか。

これらは、紀元前ギリシアの書物からの引用・訳とのことなので、より詳しくは、原書なり訳書を探せば分かるかもしれませんね。
ともかく、紀元前ギリシアで、このように弁論や討論をしていた人たちについて著された本でした。


現代と照らし合わせると、なんともやるせない気持ちになりそうです。
人間は猿から進化できたものの、そこからの進歩は数千年経っても出来ていないのではなかろうかと、疑いたくもなります。

2000年以上の時間をかけて、メディアや規模は、大きく変化できました。
別の見方をすれば、メディアや規模が変化したからこそ、大昔の人々と大差ないという事実を、今現在の自分が知ることができたのです。
少なくともネットが存在しなければ、今も同様の事が行われていることを知る機会自体がなかったと思います。
それを考えると、道具の利点を得られている部分については、進歩しているのかもしれません。


道具の次は、使い手の番だと思いつつ、正直絶対に無理だろうなと悟っている自分がいたりします。
ともかく、気がついてしまったからには、自分がそのようになってしまわないよう、注意していきたいところです。


今回読んだ本が最初に刊行されたのが1941年ということで、そこからの現在を考えると、また別の感慨が浮かぶかもしれません。
書名なりを書いていいものなのかよく分からないので、適当にぼかしてみました。

本日は、そんな与太話でした。
お時間をいただき、ありがとうございます。

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