悪筆家だから気づいたこと

綺麗な字が書ける人にとっては、当たり前でピンと来ない話かもしれませんが、字が汚い自分に取っては、目からウロコだった話です。


今の時代、書道家の方も動画を上げてくれています。

綺麗な字を書き上げる過程というのは、それだけでも十分に素晴らしいパフォーマンスなのだと魅入ってしまいますが、そのような動画をいくつか見ていて、ふと思ったのです。


プロの筆運びが、恐ろしく慎重で丁寧だということに。


自分のイメージでは、さっと、すっと達筆な字を書き上げるものだと思い込んでいたのですが、一画どころか、筆をつける瞬間にすらも気を張り詰めており、丁寧に筆先を置いているのが分かります。

文字を書き上げることを生業とされている方が、それほど丁寧に一文字を書き上げているのに対して、自分はどうでしょう。
1秒程度で1漢字を書き上げている、というか、そもそも文字として成り立っているのかすらも怪しいです。


この一点から、いくつか思いついた内容です。

・ゆっくり書き進めるのと、丁寧に書き進めるというのは、全く別物だということ。

・一筆目の時点で、すでに完成形が出来上がっており、それをトレースするように筆を動かしているのだということ。

・想像図と実際の手の動きというのは恐ろしく乖離しており、横一文字1つとっても、自身が思い描いている通りに線を引くのは、かなりの慎重さと丁寧さが必要とされること。

・そもそも、自分は想像図というものを想定しておらず、理想なり想定なり、目安とする筆運びのラインを持ち合わせていないこと。

・小さい子に与えられる文字の書き方ドリルというものは、書き上げるイメージを養うのと、イメージ通りにペンを動かす手先の訓練のためにあるのだと、再認識したこと。

・フリーハンドで線を引く作業をされている方というのは、しっかりとしたイメージを持ち合わせた上で、理想通りに筆先を動かせるからこそ、ある程度のスピードで書き上げることができるのであって、何も持っていない自分がスピードをだけを真似したところで、悪筆にしかならないということ。

大まかには、このような事柄でしょうか。

字が綺麗な方や絵を描く方にとっては、もしかしたら普通のことなのかもしれません。

しかし、それらとは全く無縁な悪筆家からすれば、全てが未知で新鮮な気づきだったのです。


さて、このように問題点が示されたのなら、あとは改善してみるだけです。これで少しでも字体が綺麗になるのであれば、自分の思いつきは、何かしらで正しかったのでしょう。

以前、歳を重ねれば自然と字が綺麗になると思っていた、という内容のつぶやきを見かけました。
もしかしたら、このような気づきがあって、綺麗な字体を心掛けていくようになるのかもしれませんが、傍から見れば、そんな気づきは知りようがありません。
確かに、年齢を重ねたからでは、と繋げて考えてしまうのかもしれません。


できれば、小学生の頃などに気がつきたかったという残念さと、手書きしなくても構わない時代で良かったと思わなくもない、与太話でした。

お時間をいただき、ありがとうございました。

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