単純とシンプル

翻訳すればイコールになる言葉ですが、実際に使用された場合、それぞれに意味合いの若干の差異が生まれてしまっているように感じます。

これは自分の感性の与太話なので、到底一般的な話ではありませんので、あしからず。


例えば、
『単純な作業』と『シンプルな作業』の場合、翻訳としてみれば同一の意味合いのはずですが、言葉から受ける印象には、微妙なニュアンスの違いが生じている気がします。

『単純な作業』と聞くと、能力が低くてもできる作業という感触があります。
一方で、『シンプルな作業』という言葉には、感情が平坦な、機械的なニュアンスを覚えます。

先にも述べた通り、これは自分の独りよがりな感性の話です。
全く同意できないという意見もあれば、真反対のニュアンスを感じ取る人もいるかもしれません。
これについての正否は、問題ではないと思っています。

問題なのは、同じ意味の言葉だったとしても、人によって微妙なニュアンスの違いが生じることだと考えます。
そして、このニュアンスの差異が積もった結果、様々なすれ違いや問題につながると思うのです。


意味的には同じ『単純』と『シンプル』のように、日本語と英語のそれぞれで受け取る感触が違う場合もあれば、同じ『単純』という日本語でも、人によっては受け取り方が変わってくるかもしれません。
方向性は同じでしょうが、程度の違いに関しては、他人の物差しを知りようがありませんし、自身の物差しを他人が完全に理解することもできません。

世の中全員の、受け取り方の差異をなくすことはできません。
ですので、自分たちがやれることと云えば、互いに受け取っているニュアンスが違っているかもしれないと警戒しつつ、丁寧に、こまめに確認し合うことだけでしょう。

すれ違いが生じること自体を防ぐことはできませんが、すれ違いを大きくしないこと、発生しても直ぐに修正することで、問題の悪化を免れると思います。

10や100の問題が発生するよりは、1,2の段階で0に戻し続ける。

この手間を嫌がる人もいるでしょうが、過程と結果を併せて総合的に考えみれば、答えは出てくるのではないでしょうか。
取り返しがつかない状況と、まだ取り返せる状況と、マシなのはどちらなのか、と。


同じ意味の言葉なのに、日本語と英語でニュアンスの差異が感じられるのを面白く思います。
単純とシンプル以外でも、意味合いに差異ができている言葉があるかもしれませんし、外国語同士でも、そのような差異があるのかもしれませんね。
それはきっと無意識で発生してしまうものでしょうから、意識して見つけ出さないといけないでしょう。
まとめながら、不定詞と動名詞の違いを連想しましたが、それよりも更に小さく複雑なパターンかと思います。

普段から、ニュアンスのすれ違いは起こっているかもしれません。
自身が考えた通りに、相手が受け取っているのかは分かりません。
自身が感じたニュアンスは、相手の狙いとは違うかもしれません。

思い込まず、すれ違っている疑念を心構えていたほうがいいかもしれませんね。


この与太話も、自分が思っているのとは違う受け取り方をされるでしょうし、読まれた方が受け取った感触を、自分は狙っていない、どころか思ってもいないかもしれません。
が、すれ違っていることを認識していれば、大して大事にはならないでしょう。

お時間をいただき、ありがとうございました。

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