快刀乱麻は格好よく見える

今回の都知事選の結果について、色々な意見が流れているの眺めています。
川の流れのように、と云うよりも濁流ちっくですが。

何が正解・不正解で、どれが真偽なのかは分かりませんが、これだけ様々な意見や考え方が存在していること自体が、多様性や民主主義の大変さなんだなぁと思う次第です。


さておき。
元市長を支持する若者が比較的多いという話に、思いついた与太話です。


この件に関して、色々な意見を見かけますが、自分がその年齢だった頃を思い返すと、そりゃ妥当な流れではなかろうかと思うのです。

若かった頃を振り返れば、やはりとにかく情報が足りていませんでした。
そんな状態で、政治の良し悪しをどのように判断すればいいのか。

自分ならば、とりあえず分かりやすい部分から手をつけるでしょう。
そして分かりやすさという点で、元市長の快刀乱麻っぽい姿は、そりゃあよく映えて見えるのではないでしょうか。

よく分からないけれども、あれだけきっぱりと言い切っているのですから、なんだか正しそう。
そんな感じで。


まるで勧善懲悪のヒーローのようにも、見えなくありません。
話として当然なのですが、『勧善懲悪の話』の場合、ばっさばっさと切れ味よく立ち回る側は絶対に正しいのです。
やられ役の方が正義でしたという話は、定義的に無理ですね。

内容を抜きにして、すっきりするその画だけで、なんだか『正しい存在』だと判断してしまうかもしれません。
それこそ、『斬り捨てているやりとり』に憧れてしまうかもしれません。


あれはフィクションであり、現実とは無関係です。
自分もそうですが、歳を重ねていくことで、それでは話が進まない、まとまらない、そもそも正しくないし解決もしないことを経験しました。

主人公ような悦に感じ入るパフォーマンスとしては面白いでしょうが、それだけです。
パフォーマンスだけでなく、内容や、立ち居振る舞いなども判断材料とするべきで、その上で支持するのであれば、それが尊重されるものです。


これは、誰でも通る道なんだと思います。
よく分からないから、何となく分かりやすい基準で判断するしかない。
しかし色々と知れば、判断基準はそこではないと分かります。
様々な情報が不足しているから、過激になりやすい部分もあると思いますが、そこは一旦別の話。
ですから、そこを早めに抜け出せるように、多様な考え方や道筋を知らせてあげるのが、年寄の仕事なのではないかと思うわけです。

ここの点、自分の考えを押しつけるだけの存在にならないようにしないと、本当に老害ですね。

ここのさじ加減が出来るか否かに関しては、その年寄に関する判断指標として役立つかもしれませんね。


どのような選択をするかは個人それぞれの価値観ですが、パフォーマンスだけを判断材料にするのはいただけない、という与太話でした。

自分自身や、家庭内の政治だって難しいのに、自治体や国になればなおさらでしょう。


お時間をいただき、ありがとうございました。

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