新しい漢字や熟語は誕生しないのかしらん

SNSで、求める状況にピッタリと当て嵌められる熟語がないと意見を見かけて、ふと思ったのです。
無けりゃ、作ればいいのでは、と。


以前から、思っていたことでもあります。
日本語の乱れだ、用途や意味が変化しているだぁ、という話題が時々流れていますが、なぜ、昔から変化してきた日本語が、今現代だけは変化してはならないのだろうか、と。
何やら、物凄く遺憾で信じられないというニュアンスばかりが先行しているのですが、そもそも、どうして変わってはいけないのでしょうか。その辺りについて説明してくれている話には、自分はまだ出会えていません。

そもそも、現在の日本語も完成されているわけではなく、未来に向けて、変化している途中だと思っています。
過去からいろいろと変化してきたものが、今現在でもまだ変化しており、未来でもまだまだ変化していく。ただ、経過に遭遇しているという話にすぎないですし、完全体の日本語というのは、一体どこにあるのでしょうか。
太陽系を破壊するほどの力を秘めているのでしょうか。


今、自分たちが使っている日本語が完成された最終形態であり、ここからは一切変化してはならないものだと、誰が決めているのでしょう。
変化していくことは当然だと考えています。
が、しかし、意味合いや用途に変化は起これども、そこに新しい漢字や文字が誕生することはないだろうなとは、思っています。
その点に関しては、日本語はすでに完成しているかもしれません。
今現在、自分たちが使っている種類以上に文字は生まれないでしょうし、それどころか、使用頻度などの兼ね合いで、常用漢字などは、むしろ次第に減っていくかもしれません。

常用漢字は減るかもしれませんが、既存の漢字を組み合わせて、新しい熟語を作り出すことだけは、十分に可能だと思います。
SNSで見かけた、求めている状況に適した熟語が存在しないというお話は、まさにうってつけの動機になりえます。

問題があるとすれば、作ったとて、それが市民権を得れるか否かは、別の話だと云うこと。話題性などの浸透次第であり、一気に波及しない限りは、なかなかに難しいでしょう。

新しい熟語で言えば、『黒歴史』は比較的新しい言葉だと考えます。
正式に辞書に載っているかは知りませんが、認知度としては十分でしょう。自分より上の世代だと、確かに通じないかと思いますが、世代交代が進んでいけば、十年後ぐらいには、老若男女問題なく、十二分に市民権は得ているかと思います。


このように考えると、日本語はとても柔軟に遊べる言語だと思います。
新しい漢字の誕生こそ難しいかもしれませんが、既存の漢字に他の意味合いを重ねたり、漢字を組み合わせて新しい熟語を作って、自身の意図を正確に表現することが可能です。言ったもの勝ちとも云えます。

日本語の乱れが気になる方にとっては、信じられない類の話だとは思いますが。
また、殆ど使われない故に認知度が低いだけで、的確に表現できる熟語も、実は存在しているかもしれません。古い本を読むと、初見の言葉に頻繁に出会えます。


『適当』という意味が、2パターンで受け取れる程度に、日本語はふにゃふにゃだと思っていますし、だからこそ、意味合いをしっかりと理解して、表現を使いこなしていく必要性もあるのではないでしょうか、と思ったりする
与太話でした。

お時間をいただき、ありがとうございました。

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