関係ありそうだけど、関係ないと思う話

SNSで見かけた、あるやりとり。

『100回繰り返してできるようになった方が、得るものが多い』
『いや、1回でできるようになった方が、得だろう』

この前後には色々な流れがあったかもしれませんが、この部分だけを見かけて思ったのです。

関係なくないか、と。

主張に関しては、前半と後半でそんなに関係はなく、反論の方は、主張とは少し違論点がズレているように思ったのです。

これについて、自分の考えをまとめてみようと思います。


まず『100回繰り返したほうが』『得るものが多い』について。

100回繰り返して得る人がいれば、100回繰り返しても得られない人だっていると思います。
1回で得る人がいれば、1回で得られない人はいます。
繰り返した回数自体は、得るものとは比例しないし、関数にもなっていません。
この点から、前半のN回数は、後半の得るものとは関係ないと考えます。


そもそも主張の論点についても、自分は試行錯誤による情報の収集や積み重ねをさしていると考えます。

100回試行錯誤を繰り返していけば、それなりに様々な情報を処理することでしょう。
その過程で、習得に必要な事項だったり、直接は関係がない事項だったり、玉石混交な情報に触れ、それが自身にとって『得るもの』となると思うのです。
その有用性について、語っていると受け取りました。


そのうえで、やはり主張の前後は関係ないと自分は考えます。

当人がやる気で試行錯誤をしなければ、100回や200回繰り返しても得るものは皆無でしょう。
何も考えていない鉄砲は、数を撃ってもまぐれ当たりしかできず、再現不可能です。

逆に、思考を巡らせさえすれば、たった数回でも100回と同程度の知見を得ることも不可能ではないと思います。
下手な鉄砲でも、集中して試行錯誤すれば、数発で当てることができるはずです。が、そういう人のことを天才と呼んだりするんだとも思います。


思考することが第一前提であり、その結果、知見や気づきなどの情報に触れることが大事で、繰り返す回数は、自分次第で変動可能なのです。


『100回繰り返して』というのは、何も考えていなくても流石にそれぐらいやれば色々と気づけるんじゃないだろうかという、確率が高そうな回数なんだと思われます。


反論の方について。

おそらくは、『すぐに習得できたほうが練習時間を使って他のことができる』と云いたいのだと思います。

前述の通り、試行錯誤云々についての主張だと受け取っているので、これだと論点が噛み合っていません。
が、もう少し穿って考えてみます。

もしかしたら、他のことに時間を使うことで、そこで別の試行錯誤に直面しろ、という話なのかもしれません。


自分が勝手に汲み取った説ですから、おもしろいぐらい、無茶だろうと論に引っ付いてしまいますね。
これ以上は牽強付会がひどくなりそうなので、止めておきましょう。


思ったのですが、試行錯誤を『思考錯誤』って書くと、中二病よりもただ錯乱してる感じがして、なんかダメですね。
そんな与太話でした。

お時間をいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?