理解力の速さと得意不得意は、別々の話ですよね

似通っているといいいますか、重なる部分は大きいかもしれませんが、厳密にイコールで繋げられる事柄ではないと思うのです。
これは、それこそ勉強にもいえる話ではないでしょうか。


仕事が出来る新人というと、やはり、少し説明しただけで大凡を理解して、卒なく熟してくれるような人を指すでしょう。
教える側からすれば、構っている時間が少ないので、自身の本来のシゴトにも手をつけられるという、素晴らしい人材ではないでしょうか。
このようなアタリといえる人材を引けるか否かは、実際にはギャンブル要素も大きく、そもそもの話として、人材を育てる教育とはかけ離れています。


まず、そのような人材を求めているのは、結局は現場の都合でしかありません。
時間を掛けて教えている余裕などない、教育に割ける人材も足りていない、
そんな時間があれば仕事を行うべきである、というような話でしょうか。

また、業務が先鋭化しているということも理由かもしれません。
長年の積み重ねによって研鑽された技術なりが、容易には覚えられない特異な技術へと上り詰めてしまい、それを支えるための基礎技術自体が、あまりにも高度化しているという可能性もあります。
こうなれば、当然、おいそれと簡単には覚えられるようなものではなく、ですが現場は何もかもが足りておらず、やはり高性能な新人だけが求められるのかもしれませんね。

ともかく、新人に求められる即戦力という話も、結局は人を育てるという猶予を捨て去る、教育時間すら惜しむ、そんな働き方や考え方が大本にあると思います。


さて。
確かに、何事も器用に熟す物覚えがよい人もいます。
器用に熟すには、全体的にそこそこのスキルや能力が必要ですから、それなりの学力を備えている可能性が高いでしょう。

それでは果たして、物覚えが早い人は、その作業なりが本当に得意なのでしょうか。
これが、イコールに繋がらない部分だと考えます。
ニア・イコールと云いますか、先程も書きましたが、重なる部分も多いことから同一視されてしまっていると思うのです。
物覚えの早さは、それだけで1つの才能です。器用貧乏といいますか、好き嫌いや得意不得意に関係なく、それなりのことは、すぐに覚えてしまうのです。

初心者なのに、すぐに中級者のような行動を取ることも可能です。
しかしだからといって、当人がソレが好きだとは限りません。
好きだから覚えが早いわけではなく、得意だから器用に熟せているわけではなく、物覚えの早さが得意だから、すぐに覚えられただけだったりします。

なかなか覚えられなかったり、戦力扱いできるまでに時間がかかってしまいそうな人は、それなりの環境しか与えられなかったりしますし、自他ともに、それなりの振る舞いをしてしまうかもしれません。
覚えるのが遅いだけの話なので、理解してもらえれば、その人の得意分野に化けるかもしれません。
なかなか覚えられないからという理由だけで避けていたものが、実は好きなものだったかもしれません。

学校での勉強にも、同様の話が重なると思うのです。
理解が追いつかないから、どんどん成績も落ちていき、苦手なのだと思いこんでしまっているのかもしれません。
しかし、1度の授業ですべてを理解できるわけがないのです。何度も同じ話を読み込んだり、確認を繰り返して、ようやく理解を一歩進められるのです。
しかし学校の授業は無慈悲ですから、追いついていようがいまいが、どんどんと先の内容へと進んでいきます。ついてこれない生徒は、自分の意思で追いつかなくてはいけないのですが、それが出来る・考えられる環境というものも、全家庭に備えつけられているわけではありません。
そのことに気づけた頃には、もうおじさんです。
自分のように。


物覚えが早いからといって、それが得意不得意と考えるのは早計でしょうし、物覚えが悪いからといって、苦手だったり無理だと決めつけるのも浅はかかもしれません。
これは教わる側に限らず、教える側に関しても同様の注意点ではないかと思います。

ソレが、当人にとってどのような存在となるのかは、とかく理解ができてから判別できるものであって、理解途中の速度だけで決めつけてしまうのは、隠れた可能性を摘んでしまっている可能性があるかもしれません。


コツさえあれば、初心者は脱出できるでしょうが、毛が生えた初心者から経験者へとレベルアップするには、やはり自身の才覚が必要になるという、そんな与太話でした。
お時間をいただきました。
お読みいただき、ありがとうございました。

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