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夏休みの宿題 #2

みなさんお久しぶりです。早稲田哲学カフェメンバーのあっきーです。

今年の夏はとても暑いですね。体調管理に十分気をつけてお過ごしください。

今回のコラムテーマは「夏休みの宿題」。
大学生になって以降、夏休みの宿題とは無縁になり、それがどんなだったかも忘れかけています。

大学の夏休みは好きです。今僕は日々バイトに明け暮れ、たまの休みには友達と会って遊ぶ日常を送っています。

でも正直なところ、大学1年とか2年のころの夏休みを本当に満足のいくものにできたかと問われると、僕は考え込んでしまいます。当時はバイトはせず、とにかく毎日友達と会ったり、予定がない日は家でぼーっとしたり。気楽かと言われればそうかもしれませんが、同時にどこか常に何かに追われるような感覚がありました。人によるのかもしれませんが、人間何かしら生産性を生み出していないと、少しずつ虚無感に覆われていくような気がします。対象は何でもいいのかもしれませんが、何かしら熱中、没頭できることがないと、やはりどんどん心が廃れていってしまうような…。

とはいえ、誰でも熱中できるものを見つけられるとは限りません。案外、人生の中で一つ(複数でもいいかもしれませんが)これと決めて、何かを追求できている人ってそういないと思います。僕だって、到底できていません。そうなると、それがどんなものであれ、ある程度自分の生活のリズムを律してくれるもの、好むと好まざるとに関わらず、多少は行うことに意義があるものを生活の根幹に据えておくのはいいことかもしれません。そして、いつか本当にやりたいことが見つかれば、ひょいとそっちに鞍替えすればいいのです。

例えば中高生が課される夏休みの宿題には一つそんな意義があるのかもしれません。自分自身が何なのかうまく定まっていない子たちが、とりあえずは自転車のペダルを漕ぎ続けておくための道具。あるいは、無秩序にむくむくと背丈を伸ばしていくトマトのツタを支える支柱のようなもの。

モラトリアムな自分のような人間からすると、夏休みの課題にはそういう意味があるのかもと考えたりします。もちろん反論もウェルカムです。宿題なんかに夏休みを奪われたくない!そんな意見にも僕は大きく頷きます。

何にせよ、8月も終わってしまいましたが、残りの夏をみなさんが楽しく過ごせるよう祈っております。

それでは。



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