嵐を聴いて

2023年秋。
テレビを点けても観たい番組なんてなくて、気力もなかった。寝ても寝てもいつも眠たいし、お腹周りの肉が気になってきたのに運動をする余裕もない。仕事しかしていない気がする。
お金だって、週に5日も働いているのに、少し吹けば消えてしまうほどのものしかないから、質素に静かに過ごしている。為替のせいで海外旅行も夢のまた夢、それどころか国内にいても物価高に日々じりじりと生活が圧迫されているのを感じるときがあって、新手の拷問かと冗談っぽく思っても……わりと笑えない。周りを見渡せば不幸自慢ばかり、気がふさいでしまう。

22歳、ひとり。
大人になったけど、まだまだ20代は残っていて、きっと眩しいみずみずしさを放っているはずだ。わたしはただ生きているだけだから、自身から放たれる光を見ることが出来ないけれど、きっとそうだと思う。そう信じたい。
だのになぜ、憂鬱は訪れるのだろう。
出口のない、広い催事会場にいるような気がするのだ。なんとなく、それっぽい通路を歩いているように見えて、出口らしきものがある方向も今いる場所もよくわからない。そもそもこの場で息をしていることが本意だったかすら、自信がない……。

そんな折に嵐の古いアルバムを聴いて、なんというか泣けてきて鳥肌が立った。
なんて前向きなんだ。若くて、熱くて、無邪気で。

幼いころ、家族でドライブをするときは嵐が10周年の時にリリースしたアルバムをよく流していた。だからか、そのアルバムに収録されている曲はどれも聴きなじみがあり、親しみがあって、良い意味で記号のようなものだった。それ以上の意味は持たず、「みんな知っていてみんな好き」。

10数年経った今、その時の歌たちに、これほどまで救われることがあるのか。
「サクラ咲ケ」「きっと大丈夫」「ハダシの未来」「ナイスな心意気」「風の向こうへ」……時限爆弾のように深く心に刺さって、ひどく必要な言葉たちだ、歌詞を見てそう思った。
誰もこんな言葉を他人にかけてはくれない、きっと今の世の中じゃあ、みんな大変だから……誰もが自分を生きるのに精いっぱいだから、自分のみしか頼れないんだ、と意固地になった気持ちは解け、ただの「私」になった気がしている。

キーになるのは大野くんの歌声だった。
大野くんは今から10年前にはすでにお馴染みの髪型をしていて目が慣れているので、昔のアルバムに入っている曲たちがシングルだった時のジャケ写を見ると「若い!」と感じる。
今のわたしと同じ20代で、才能あふれ、歌やダンス、演技、芸術に秀でながら、アイドルとしてテレビの画面の中で生きていた、あの頃……。
大野くんの歌声で、「きっと大丈夫」と歌われると、目の前が急に開けて前を向けるし、「握りしめた手が何か言う 駆け出せば間に合うさと」というフレーズのときは本当にいつも泣きそうになる。憂鬱が消えて、体が軽くなって、ならんでどこまでも駆け抜けられそうな、そんな気がして。

リリース当初、世の中はきっと今の半分くらいの部品で回っていて、うんと単純だった。父も母も若く、わたしは幼く、それに合わせて世界もきゅーっと縮んだイメージで浮かんでくる。もう戻らない日々のことだ。
でもきっと知らないだけで、みんなどこか落ち込んでいた。バブル崩壊、就職氷河期、ノストラダムスの大予言、時代は21世紀に流れ込んで……。モーニング娘。がLOVEマシーンを歌わざるを得ないくらい、皆しょげくれていたんだろう。じゃないと「日本の未来は世界がうらやむ」とかサビ頭で言わない。
嵐はきっと、21世紀の四半世紀を背負う日本のアイドルだった。
それを象徴するかのように、2000年代の嵐の歌はやたらめったら明るく無邪気にこちらを励ます。
それは今を生きる人たち届いて、無性に泣きたくなるのだ。
ありがとう、嵐。

そして、皆うすうす勘付いているのだが、今の世界はなんだか元気がない。
多様性に揉まれありとあらゆる音楽があふれ、これはこれで良い時代になった。それでも、あの時の嵐のような存在はおらず、かえってあの時代は唯一無二だったのだと知らされる。
そんなノスタルジイに浸りながら、今日も私は嵐を聴く。

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