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みけこの散歩12(ドアノブがない扉のこと)

携帯に一年前の思い出の写真が流れた。

大好きな白い白い景色たち。
青いほどの白い世界。

なかなか思い通りに撮ってくれなくて、何回もそこまで走ったセルフタイマーの記念写真や、景色がほとんど写ってない下手な自撮りも。

どうしてもどうしても行きたくて1人で行った。
誰かとじゃないと行けないような気がしていた場所。

1人じゃ行けないんだと思い込んでいただけだった。

本当に好きならもっともっと、1人でも行けたし、ずっと居られただろうに。

若い臆病な私は独りを選べなかった。

1人ではハンバーガー屋ですら食べられなかったから、どんなにお腹が空いていても家まで持って帰る。

ドーナツ屋で挑戦したけど、周りが気になって喉を上手く通らない。
こんなことなら家で食べればよかったと思った。

誰かが誘ってくれるか、一緒に行ける誰かが見つかるか、そんなあてにならない偶然を待って時は過ぎた。

本も映画もドラマも、その頃の私に、やりたいことをやった方がいいと教えてくれてたのに。
勇気を持ち合わせてなかった。


チャンスの扉はドアノブがない。

だから、向こうから開いた時いつでも飛び込めるように準備をしておきなさい。
日々弛まぬ努力をしなさい。

怖がりの私は、この言葉を扉が開くまで待ってなさいに取り違えてた…多分。

流れに逆らって失敗したことを流れの向きのせいにしてた。
誰でもない自分の力のせいなのに。

でも今なら、チャンスの扉じゃないとしてもこっちからドアノブをしっかり握って、自分から開けても良かったんじゃないか?とか

向こうからしか開かない扉が悪意の扉ってこともあるし、開けてくれても望みの扉じゃないかもしれない。とか

もはや、準備なんて開けてからでも良かったりするんじゃないか?
開けて驚いて、泥縄な準備で飛び込んだっていいんじゃないか?
などと無謀な考えすら正論に思える。

それが自分が選んだ扉ならば。


今の私はもう思考を、頭の中だけで世界を飛び回らせ、思い出の写真の中で匂いも温度も風さえもよみがえらせることができる。
それで満足もできるようになった。


だからこそ言いたい。
昔の私へ、
誰かが手を差し伸べてくれなくても、背中を押してくれなくても、
こっちにドアノブがあってもなくても

自分で扉をこじ開けなさい。

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