愛着という呪いを解こう!

2021年3月頃から推していたVtuberがいる。
ちょうどコロナ禍かつ、大学に行っても友達の少ない私はVtuberのような配信者を追いかける時間的余裕があった。

浮き沈みを繰り返しながらもこれまで2年と9か月ほどその人を見てきた。
非常に言いにくい話なのだが、その人は推し続けるにはかなり難易度の高い配信者だった。推し始めて3か月する頃には掲示板での誹謗中傷やコメント欄の荒れに戸惑い、1年程経った頃には新規オタク特有の舞い上がった崇拝をやめ、2年経つ頃には誹謗中傷の内容も鼻で笑って確かにそういうところあるな~と思えるようになった。
そのころには随分愛想も尽きていて、この人はこういう良くないところがある、しかし自分はこの人のコンテンツの内こういう部分が好きなのだ、と明確に言えるようになっていた。

それでも、早く別のものを好きになって一刻も早くこの人を見るのをやめた方がいいということは1年目あたりでとっくに理解していた。
当時どうも他に好きなものへの興味が尽きていて、新しいものを見に行く気が起こらなかったので、よくないとは思いながら見続けていた。
そして何よりも愛着があった。逆境のなかで推してきた人が、活躍の機会を得てようやく活動の幅を増やし認知度を上げていった、そういう経緯を私はその人への愛着として感じてしまっていた。

しかしその人の活躍からも約1年、よく見るとやっぱりその人を推し続けることは難しいと思った。人間性にかなり問題があることを、薄々ずっと認識していたけど、やっぱり苦しくなってきた。
それを今まで堪え続けて1年ほど経ったが、他のジャンルに目移りしたとき、こんなに苦痛と楽しさのバランスが取れない人をわざわざ推し続けなくても、他にもっと楽しさの大きい、苦痛の少ないものがあるじゃないかとようやく受け入れられるようになった。

そしてこれは私個人の問題だが、昔虚言癖のある友達に騙され続けてきたことが地味に腹立たしく、推しにも虚言癖じみた部分があると感じてしまったことが今後推し続ける未来を考えた時の苦痛を想像させた。
このまま推していても、仕方がないと思うし、こんな人を推していると他の人に紹介するのがすごく恥ずかしい人なのだ。

推しとして勝手に掲げておいて申し訳ないが、この人が推しなんです!と自信を持って他人に紹介できないような人を、無理に推し続けるのは苦しい。苦しすぎるのだ。
楽しいこともあったけど、この2年9か月、苦しいことのほうがずっと多かった。
憎いくらいその人の人間性を軽蔑していても、その人が好きだった自分の気持ちを否定することができずにずるずるとここまで来てしまった。愛憎がすごすぎて自分が二人いた。

推しから離れるのに一番いいのは無関心になることだが、今それができている。
無関心は愛着に勝る。
愛着は今も捨てられない。こんなに軽蔑しているのに、うまいこと幸せに生きてほしいと思っている。
でも、そのために私が苦痛を堪えてまで見届ける義理は無い。
推しがもう一度炎上しようと、配信者として生きていられず引退することになろうと、私の知ったことではない。
私は私のことで手いっぱいだし、人生でその人のために割ける時間はもうとっくに尽きた。
そもそもこちらは一視聴者に過ぎず、向こうはこちらを認知しているわけでもない。こちらだけが一方的に期待して、理想化して、勝手に裏切られたような気持ちになって、勝手に降りるだけだ。

愛着を捨てることはできなくても、関心はいずれ尽きていく。
推しを降りたくても降りられなくても、いつか自分の心に余裕ができたときに降りられるということで、いかがでしょうか。



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