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太田愛/彼らは世界にはなればなれに立っている

先ずはご報告を。
無事に積読せずに読了しました 笑

今回読了したのはこちら↓

あらすじ

「最初のひとりがいなくなったのはお祭りの4日後、7月最初の木曜日のことだった」___ここは<始まりの町>。物語の語り手は4人___
初等科に通う13歳のトゥーレ、怠け者のマリ、鳥打ち帽の葉巻屋、窟の魔術師。彼らだけの真実を繋ぎ合わせたとき、消えた人間のゆくえと町が隠し持つ秘密が明らかになる。


あらすじを読んだかぎりではファンタジー小説なのかなと思ってました。ですがこの作品、そんな生易しくなかったです。
現実世界での様々な社会問題が<始まりの町>で起こります。それは私たちの遠い過去にも、現在にも、そして未来にも当てはまるんです。見出し画像にも書かれている「わたしたちの過去も現在も未来も写しとられている」とありますが、本当にその通りの作品です。

<始まりの町>が抱える問題が現実とリンクし、そして町の住人の行動が自分にも当てはまった時私はぞっとしてしまいました。自分が今まで何とも思っていなかった行動が、もしかしたら近い未来で自分の首を絞めるかもしれないと思ったんです。それは町の住民たちが辿った結末があまりにもリアルだったから。
こんなにも自分の行動を改めようと思ったのは、多分人生初です。それぐらい衝撃的でした。

多分私はこの<始まりの町>の多くの住人と似た感覚の持ち主です。
都合の悪い事からは目を背けたい。物事をいいように捉えたい。
大なり小なりこう思う人は少なくないと思うんです。率先して喧嘩をしたり、好んで物事を悪く捉える人って私の周りには多くありません。

この作品は、そんな自分が見過ごしてきた小さな行動が将来自分の身に大きな不幸となって押し寄せるかもしれないよと気づかせてくれます。
(あくまでも個人的感想です)

さて、ここまで長くなりましたが「太田愛/彼らは世界にはなればなれに立っている」を読んで、読み慣れない漢字が多く、登場人物は多くがカタカナ、時系列がちょいちょい入れ替わる章があったりとなかなか苦戦しましたが、読後感はすごくいいです。(あくまでも個人的感想です<再>)

最後の最後に、この本の最後で解説を書かれている翻訳家の鴻巣友季子さんが紹介しているパウル・ツェランの詩、「夜ごとゆがむ」の一部を私もこの記事を読んでくださる皆様にご紹介したいと思います。本作のタイトルに詩の一部が使用されています。

夜ごとゆがむ

ここがぼくらの追いすがった者らの
憩う場所───

かれらは時刻を数えまい、
雪片を数えまい、
川のながれを堰まで辿るまい。

かれらは世界にはなればなれに立っている。
それぞれがそれぞれの夜のもとに、
それぞれがそれぞれの死のもとに。
無愛想に、頭には何も被らず、
遠近の霜を頂いて。
(飯吉光夫訳)

もし少しでも気になりましたら、空き時間に読んでみるのもいいですよ~

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