映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」感想-人間の“弱さ”を描き切る
206分
超大作という言葉では片付きかねない長尺に慄きながらも、スコセッシ×デニーロ×ディカプリオのバミューダトライアングルには抗うことはできなかった
ということで観てきました!
今年80を迎える巨匠、マーティン・スコセッシ監督の最新作「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」
率直な感想としては間違いなく今年のアカデミー賞にも食い込んでくる傑作でしょう!
今回はそんな「キラー・オブ・ザ・フラワームーン」を4つの観点からネタバレありで書いていきます!
あらすじ・キャスト
監督は映画界の巨匠 マーティン・スコセッシ
主演にはスコセッシと6度目のタッグとなるレオナルド・ディカプリオ
その他共演に、ロバート・デニーロ、リリー・グラッドストーン、ジェシー・プレモレンスら豪華キャストが集結した
少し話が逸れるが、今作に連邦警察官役で登場する、ジェシー・プレモレンスが出演している「パワー・オブ・ザ・ドック」もレビューしているので是非そちらもご覧いただきたい
残酷なまでに描き切る人間の“弱さ”
ここからはネタバレ全開でレビューさせて頂く
今作が描いているのは何か
もちろん一つには忘れられたアメリカの負の歴史を明らかにしようと描いている
一方で、個人的には人間の“弱さ”をこれでもかと言う程に描いていると感じる
その象徴となるのが今作の主人公ディカプリオ演じるアーネストだ
彼は妻のモーリーを愛しながらも叔父であるキングの指示に逆らえず次々と犯罪に手を染めていく
観た人はお分かりだと思うが、3時間半もの劇中の間、彼はモーリーとキングの間で常に板挟み状態にあり、支離滅裂な行動を取り続けている
そこに「タイタニック」の頃の爽快な面影は残っておらず、悪役としてもとにかくダサい
最終的には(かなりの時間を要しながらも)権力者で叔父のキングと決別するのだが、モーリーとの最後の会話で「私に打っていたあの薬はなんだったの?」と問いかけに対し、「…、インスリンだ」と嘘をつく
もちろん、モーリーもそんなのは嘘だとはとっくに知っており、これが決定打となって彼らは離婚する
このようにアーネストは強い物に巻かれ、愛する人を前にしてさえ保身の為に嘘をつくという悪役でありながら悪役としてのカッコよさやカリスマ性は微塵も感じさせない
しかし現実社会での人間というのは、こういうものなのではないだろうか
人間はどこまで行っても欲望に忠実で、身に降りかかるだろう危険に怯えている
そんな人間の弱さをディカプリオの圧倒的の怪演のもと、残酷なまでにこの206分でスコセッシは描き切っている
キング=プーチン
今度はロバート・デ・ニーロ演じるキングに視点を移す
彼はアーネストと違ってとにかく金のためならなんだってする、生粋の“悪”である
人を殺すのにも躊躇いは一切なく、オセージ族から最大限利益を掠め取ろうとするのが彼のライフワークだ
彼は石油の受益権をむしり得ようとアーネストを使ってモリーに接近していく
そんなキングだが、彼は時折聖書を及び神を引用(利用)する
モリーが糖尿病でもう先がないことに対して「これも神の意志だ」と言い放つ場面は印象的に感じる
彼が間接的に、殺害しようとしているのにも関わらずだ
そんなキングを観て個人的に連想してしまうのはロシアのプーチン大統領だ
彼はウクライナに武力侵攻した翌月の集会で次のように発言している
これは新約聖書のある一節だが、ウクライナへの武力侵攻を自己正当化するために、実に都合よく聖書を引用している
実態はキングもプーチンも悪魔同様の行動をしているのにも関わらずだ
エンタメとしての消費に対抗
そんなアーネストとキングもFBI捜査官のトム・ホワイトらに追い詰められ逮捕される
これで一件落着、ハッピーエンド!
とはならないのがスコセッシ流
今まで起きた出来事は全てテレビドラマにされており、FBIの名声向上や白人たちの娯楽として消費されるという着地点を見せてこの映画は終わりを迎える
ここで見えてくるのはスコセッシの映画に対して向き合う姿勢だ
スコセッシは過去に、マーベル映画について「あれは映画じゃない」と発言したことで大きな波紋を呼んだ
なぜスコセッシはあれは映画ではないと考えるのか?
それはマーベル映画は売れることにしか目がないと考えているからではないだろうか
映画とは第一に伝えるものであり、興行収入などはあくまで副次的なものに過ぎない
「売れる為に映画を作るのでなく、観客に何かを伝える為に映画を作るのである」*1
彼の映画に対するスタンスがこの映画のラスト、そして206分という時間に体現されている
206分の弊害
とはいってもエンタメ性は軽視できない
なぜなら映画とはどこまでいってもエンタメであり、慈善事業ではないからだ
その代表的な存在として、エンタメ性と自身の作家性を見事に両立させているクリストファー・ノーランは現在、映画界のトップランカーの一人として君臨している
前述の通りになるが、今作のキラー・オブ・ザ・フラワームーンはあまり観客の方を向いて制作されていないように感じられる
言い換えるならばスコセッシの好きなように作られている
だからこそ206分という上映時間になったのだろうが、正直な感想としてはやはり長い
ディカプリオやデニーロらの怪演のぶつかり合いにより退屈までは行かないが、連邦警察が出てくるまでは話の進み具合はかなり遅く感じる
犯人も序盤から既にキングとアーネストということは分かっており、ストーリーの引きとなるフックもないので、事件の経緯をここまで複雑に長尺で描く必要があったのかと言われれば疑問に残る
個人的には3時間くらいで収めてくれたらより作品の見やすさは向上したのではないかと思う
総評
TJ的評価は⭐︎4/5
アメリカの忘れられた歴史を再度問い直すと共に、人間の弱さを見事に描き切ったスコセッシの手腕はやはり流石の一言
ディカプリオ、デニーロの演技力は言うまでないが、繊細で難しい立ち位置のモリー役を演じたリリー・グラッドストーンの演技も圧巻だった
もう少し前半部分をコンパクトにまとめてくれたらという若干のマイナス面は感じてしまうものの、2023年を代表する一本になることは間違いない
いかがだっただろうか
206分は長いと連呼しておきながら、このレビュー自体もとてつもなく長くなってしまった
今後もこのように新作、旧作問わず気になった映画はレビューしていきたいと思うので是非ともスキ、フォローお願いします
また過去の映画レビューはこちらから見れるのでそちらも是非
では!
*1 この記事内で語られているスコセッシの発言を元に作成したものでスコセッシの発言そのものを引用したわけではない
https://www.tvgroove.com/?p=122965
見返りは何もありませんが、結構助かります。