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小江戸川越の御朱印巡り⛩

皆さんこんにちは〜いつも記事を見て下さりありがとうございます😊今回は4月9日に行った御朱印巡りを紹介したいと思うのでぜひ見てください!

川越氷川神社
ここの神社は川越の中でも特に有名な神社であり毎年大勢の参拝者が来日しています(*^^*) 僕もよく行っていましたが御朱印を頂いたことはないので是非参拝してみて下さい!

川越氷川神社

川越八幡宮
当時このあたりは、豪族河越氏の所領で鎌倉時代、神社後方に河越氏の館がありました。応永32年(1425)には、関東管領足利持氏河越兵庫助の館跡地の半分を当神社に日供料として寄進したといわれています。長禄元年(1457)、川越城が完成しました。築城の名手だった太田道灌は当神社を篤く崇敬し、分霊を川越城内の守護神として奉斎しました。

爾来、川越の歴代城主、城代の崇敬が深く、特に天正18年(1590)以来の城主・酒井氏一族の崇敬はすこぶる篤く、社殿の造営、神田、神宝の寄進が相次ぎました。酒井氏は国替後も崇敬を加え、しばしば改築費、修繕費等を奉納しました。文化9年7月1日(1812)、姫路城主・酒井雅楽頭源朝臣忠衛は御神号「河越八幡宮」(文字は向鳩形)の額と掛物一幅を奉納しました。寛永2年(1625)には、徳川家光公が日光社参の折、酒井備後守忠利が道中安泰の祈願をし、その功により葵紋付祭器具の寄進がありました。

川越八幡宮

喜多院 
天台宗川越大師喜多院は、仙芳仙人の故事によると奈良時代にまでさかのぼるかもしれません。伝えによると仙波辺の漫々たる海水を法力により除き、そこに尊像を安置したといいますが、平安時代、淳和天皇の勅により天長7年(830)慈覚大師円仁により創建された勅願所であって、本尊阿弥陀如来をはじめ不動明王、毘沙門天等を祀り、無量寿寺と名づけました。その後、元久2年(1205)兵火で炎上の後、永仁4年(1296)伏見天皇が尊海僧正に再興せしめられたとき、慈恵大師(元三大師)をお祀りし官田50石を寄せられ関東天台の中心となりました。

正安3年(1301)後伏見天皇が東国580ヶ寺の本山たる勅書を下し、後奈良天皇は「星野山-現在の山号」の勅額を下しました。更に天文6年(1537)北条氏綱、上杉朝定の兵火で炎上しました。

慶長4年(1599)天海僧正(慈眼大師)は第27世の法灯を継ぎますが、慶長16年(1611)11月徳川家康公が川越を訪れたとき親しく接見しています。そして天海の意見により寺領4万8000坪及び500石を下し、酒井備後守忠利に工事を命じ、仏蔵院北院を喜多院と改め、又4代徳川家綱公のとき東照宮に200石を下すなど寺勢をふるいました。

寛永15年(1638)1月の川越大火で現存の山門(寛永9年建立)を除き堂宇はすべて焼失しました。そこで3代将軍徳川家光公は堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興にかかり、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築して、客殿書院等に当てました。家光誕生の間春日局化粧の間があるのはそのためです。その他慈恵堂多宝塔慈眼堂鐘楼門東照宮日枝神社などの現存の建物を数年の間に相次いで再建し、それが今日文化財として大切に保存されています。

喜多院

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