在宅介護と自分~自己紹介~
初めまして、ゆうきマンマンです。
Xでは時々、思いをポストしているのですが、noteを使って自分の記録と合わせて文章を記載していきたいと思います。
最初は、自己紹介からかな
自己紹介
私は、34歳の男性です。
独身です。バツイチです。
31歳の時に、諸事情から離婚し、実家に戻ってきました。
両親は、私の決断に対してあまり何も言わず、引越しの手伝いまでしてくれました。
両親は、私が子供の頃から困っていると必ず、最後には助け舟を出してくれていました。
「31歳でも親の力を借りて何やってんだろう」と当時は思いながら実家に戻ったことを覚えています。
しかしながら、心にダメージを負っていた私には、非常に心強い存在ではありました。
実家に帰り、なかなか心の傷が癒えないまま仕事と自宅を往復する日々が、3ヶ月続いたある日の夜。
父は、自宅内の階段から転落し、脊椎損傷の大怪我を負いました。
首から下がほとんど動かず、絶望の日々が始まったのです。
急性期病院、リハビリ病院、入所リハビリ施設、鍼治療、ロボットリハビリなど家族としてできることは、これでもかって行いました。
これから待ち構える自宅での介護、自宅問題(バリアフリーなど)、経済的問題などさまざまなことを考える日々となり、精神的に非常に不安定となりました。
私以上に不安定となったのは、母であり、精神科で睡眠導入剤を処方されるなど落ち着きませんでした。時折、現実を見れないことから「自殺」を仄めかす発言をするようになり、1人で自宅においておくこともできない状態になったのです。
母のこともありながら月〜金と仕事へと行きました。
通勤時間は、「転職をして自宅周辺へ」「在宅でできる仕事」などと考えてばかり。
職場では、事情は理解されてはいたものの大きな仕事が山積みでした。
適応障害に
自宅では家族のことを考える時間ばかりとなり、睡眠時間も3〜4時間程度の日々。
日が登れば、仕事のことを考えて、定時9時出社のところを7時には着いて、清掃や仕事をしていました。(狂ってた)
そして、同僚のほとんどが18時定時で帰る中、21時まで残り仕事、仕事、仕事。
私は、両親のことを言い訳にしたり、同情されたりするのが嫌で非常に無理をしていました。(今、振り返ると残念でしかないです。笑)
その結果、どの仕事も中途半端になってしまい、周囲に迷惑をかけることに。
当然、職場内での私のポジション、居場所は無くなっていく一方となったのです。
そして、上司からキツくダメ出しを喰らうことに。
張り詰めていた糸が一気に切れました。
自分の中で音がしたことを今でも覚えています。
翌日、朝から会社へ全くいくことができなくなりました。
友人に精神科や心療内科への受診を勧められて行くと、
「〇〇さん。適応障害です。」
明るく女性の先生に言われました。
状況を理解してもらった上で、勧められたのが
「退職」
決断をしないことには、状況は変わらないし、職場に戻ったところで居場所獲得は至難の業であるとハッキリと言われました。
突然、仕事を休んだ時点で、もう戻れないと感じていた私は退職を決めるのでした。
続く。
介護が必要な父親
私
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