それでもカッときたならベイビーレッツダンス

B'z を聞くことはぼくにとって救いであったし、B'z を歌うことで胸の中のモヤモヤは吹き飛ばされた。しかし、モヤモヤは死んだわけではなくまたやってくる。そうしたら、B'zを聞き歌う。そんなことを繰り返すうち、B'zの歌のフレーズが胸に染み込んでいく。生きてく中でしんどいときに、ふと蘇るワンフレーズ、そいつが理性を保たせる。ありがとうって呟いたら、ぼくは前をみる。

 B'z に出会ったのは小学5か6年生だと思う。おそらくMステを見たのが初めてかな。まず2人が音楽してる姿がかっこよくて虜になった。CDや雑誌を買った。ただの小学生なのでお金はない。古本屋や中古CDの店で探して、お小遣いの中でやりくりした。部屋で1人で聞いたり、親の運転する車で流させてもらった。歌詞カードも読んだ。そして歌った。

そんなとき、B'z が「MAJIC」というアルバムを出すことが発表された。予約してお小遣いを注いだ。アルバムを通して聞いたり、個別でリピートしたりと味わいつくした。最終曲が特に胸熱すぎて痺れた。思い切って初回盤を購入したので、DVDも見ることができ、最高の体験だった。B'zを聞いている時間は清々しく且つ考えさせられたりと至福だった。

 中学校に入ってから周囲とうまく関わることができなかった。いじめもなけりゃ、学校に行かなかったわけでもない。この繰り返される日々はなんだろう。ぼくがぼくを生きる意味って?登校前に鏡を見て、我が顔を怪しくみつめていた。青臭いことをモヤモヤ考えてた気持ち悪いやつだった。学校ではおとなしく勉強し(休み時間も勉強)し、部活で野球して帰宅して宿題して風呂に入りながらB'zを歌っていた。下手なくせにばかでかい声で歌っていたので、家族は聞き苦しかったと思うが当時は鬱々としており、あまり気にならなかった。親からしたら、学校でおとなしく特に問題も起こさないやつが、家で歌いまくっていたのはどんな気持ちだったんだろうか。声が枯れるまで歌う日もあった。弟からうるさいと何度も言われた。ある日、同級生から、夜おまえの家から歌声がすると言われた。近所にその同級生の親戚が住んでいたのだ。ぼくは咄嗟に、弟がよく歌ってると言った。恥ずかしくてどうにかなりそうだったが、バカなので、1週間くらい経ってからふたたび歌い始めた。
 高校受験においても、大いにB'zに力をいただいた。受験のため、中学3年生の間のみ塾に通った。
塾に行く前、風呂場でB'zを熱唱した。気合いを入れ、塾に向かった。
 高校に入学してからB'zをあまり聞かなくなった。明確な理由はない?高校野球が忙しかったからとも言えるし、他のアーティストを聞くようになったからとも言える。
 時は流れ、たしか26歳のときだったと思う。
社会人として働き始め、3.4年経った頃。友達とよくカラオケに行くようになり、B'zをふたたび歌い始めた。それを境にB'zを聞き直した。今になって響く歌詞がたくさんあった。あの頃は歌詞の意味を何もわかっていなかった。いや、ほんの少ししか分かっていなかった。自分があの頃と変わったんだ。それが良いのか悪いのかはわからない。時を超えて、歌詞は意味を変える。

 ぼくはまたB'z を聞いている。歌っている。生意気にも稲葉さんのモノマネを友達の前でしている。今は通勤中の車内で聞くことが多い。
 B'zは今も走っている。その姿は眩しくて潔い。
 B'zありがとう。




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