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ボードゲーマーに贈る「オールド・ロンドン・ブリッジ」の歴史的背景


ボードゲーム「オールド・ロンドン・ブリッジ」とは

 英Queen Gamesより発売されているボードゲーム「オールド・ロンドン・ブリッジ(原題:Old London Bridge)」は、火災で失われたロンドン橋を再建するゲームです。なお日本語版は発売されていません。

 ボードゲーム「ロンドン」の記事で、かつてロンドンでは頻繁に火災が起きていたことを書きましたが、このゲームにおける「ロンドン橋を焼いた火災」は17世紀のロンドン大火ではなく、それよりずっと以前の12世紀に起きたものです。
 当時のロンドン橋は木造で火災に弱く、橋の管理者であった教会司祭ピーター・ド・コールチャーチは、新たな橋を石造りにする計画を立てました。その計画に従い、新たな石造橋を建設するのが、ボードゲーム「オールド・ロンドン・ブリッジ」の目的になります。

橋は橋でも

 さてロンドンで「橋」と言えば誰もがまず、二つの塔が聳え立つ跳ね橋を思い浮かべるでしょう。テムズ川にかかるロンドン屈指の観光名所「タワーブリッジ」です。
 そして「ロンドン橋」で画像検索すると、この跳ね橋の写真やイラストが真っ先に出てきますが、この跳ね橋、かのマザーグースでも歌われたロンドン橋ではありません! 騙されるな!!!

 本物のロンドン橋は、対岸まで真っ直ぐに欄干が渡された、ただ幅が広いだけのシンプルな桁橋です。そうと知らなければロンドン橋だと気付かないかも知れません。
 と言っても、現在のロンドン橋はピーター司祭が建てさせた石造りのロンドン橋ではなく、20世紀後半に建てられたコンクリート製の橋です。ピーター司祭は800年も前の人物なので、彼の橋が残っていればいくら石造りでも相当に老朽化していますし、当時はなかった自動車の交通にも耐えられないでしょう。現在では取り壊された彼の橋は、今日では「旧ロンドン橋」と呼ばれています。
 そう、ボードゲームのタイトル「オールド・ロンドン・ブリッジ」の何がオールドなのかと言うと、新しいものに対する「古いもの」。つまり新旧の「旧」であり、今は亡きこの「旧ロンドン橋」を意味しています。

 と言う訳で前置きが長くなりましたが、この記事ではロンドン橋の歴史に付いて振り返ってみたいと思います。

ロンドン市内唯一の橋

 ボードゲーム「ロンドン」の記事でも触れた通り、ロンドンの原点は古代ローマ時代に建設された都市ロンディニウムです。そしてロンドン橋の歴史もそこから始まります。
 当時のロンドン橋は木造で、火災や焼き討ち、嵐などで何度も失われました。そして1136年にも火災で焼け落ちてしまいます。
 当時橋の管理者であったピーター司祭は、前述の通りロンドン橋の再建に際し、火災に強い石造の橋にしたいと考えました。と言うのも、当時のロンドン橋はロンドン市内でテムズ川を渡れる唯一の橋だったからです。

 ロンドン橋に最も近い他の橋は、長らく現在のキングストン・アポン・テムズ地区にあるキングストン橋でした。ロンドン橋は「シティ・オブ・ロンドン」と呼ばれるロンドンの中心部にあり、キングストン・アポン・テムズ地区は、その周辺地域も含めた「グレーターロンドン」の南西の端にあると言えば、あまり近い場所ではないとお分かりでしょう。実際その距離は、直線距離でも16kmくらいあるみたいです。
 同名の橋はスコットランドやアメリカ・ニューヨークにもありますが、このグレーターロンドンのキングストン橋は歴史が古く、11世紀半ば頃には既に存在してたそうで、グレーターロンドンの範囲内では現存する最も古い橋のようです。
 しかし1750年になって、ロンドン橋の渋滞を理由に3kmほど上流にウェストミンスター橋が掛けられると、これを切っ掛けにテムズ川には次々と新しい橋が掛けられ、テムズ川の両岸の交通の不便さはようやく解消されたようです。

 ちなみに橋が架けられる以前は渡し船が用いられていたそうで、ウェストミンスター橋を架ける際にも、渡し船の船頭やロンドン橋を擁するシティ・オブ・ロンドン自治区から反対の声が上がったとか。
 テムズ川唯一の橋であったロンドン橋は、当時からロンドン市民にとって特別な橋だったのでしょう。

人の住む橋

 ピーター司祭の計画した石造のロンドン橋は、33年の歳月を経て完成し、ピーター司祭はその完成を見る前に亡くなりましたが、彼が願った通り、その後壊れることなく、19世紀前半に新橋が完成するまで600年余りの間、テムズ川の両岸を繋ぎました。

 このロンドン橋の上には、完成直後から住宅や教会、商店と言った建物が建てられ、一種の自治区を形成しました。300mほどの橋の上に、14世紀には130件余りの商店があったとか。またこれらの建物は、中央に通路を開けて欄干沿いに1階部分と、通路の天井を覆う形で上階が、橋を蓋してトンネル型になるよう建てられていました。
 「ロンドン橋」で画像検索すると、あるいは川の上に一直線に建物が並んだ中世の絵画や再現図が見つかるかも知れません。「ロンドン橋 建物」や「ロンドン橋 中世」で画像検索すれば、より確実です。この建物の並んだ状態の橋こそ、ピーター司祭が建てた石造のロンドン橋です。

 歴代のロンドン橋の中でも最長の歴史を持つピーター司祭の石造のロンドン橋ですが、その600年余りの間には、橋上の建物が火災で壊れたり、謀反人の首が晒される場所になったりしたそうです。

マザーグースの謎

 ロンドン橋と言えば、かの有名な民謡「ロンドン橋落ちた」を思い浮かべる人も多いでしょう。この民謡は「マザーグース」と呼ばれる、イギリスの伝統的な童謡のひとつでもあります。
 「ロンドン橋落ちた」は古い童謡なので、いくつかの異なる歌詞が伝わっています。例えば日本語の「落ちた」の部分が「broken down」であったり「falling down」であったり、「お嬢さん」の部分が「my fair lady」であったり「my lady lee」であったり、日本ではマイナーな二番以降では新しい橋を作る素材を何にするか歌われていますが、その歌われる順番が違ってたりするそうです。
 しかしピーター司祭のロンドン橋は、12世紀に完成して19世紀に取り壊されるまで、物理的には一度も「落ちた」ことがありません。歌詞の元になった何某かの出来事があったとしても、それはピーター司祭以前の木造のロンドン橋だったのでしょう。
 なので、ロンドン橋が「落ちた」と言う歌詞がどういう状況を表しているのか、何故「お嬢さん」が歌詞に織り込まれたのか、我々が窺い知ることはできません。

ロンドン橋が落ちた日

 今日ではイギリスの象徴とも言えるロンドン橋ですが、この橋はイギリスのとある計画の呼び名にも使われました。それは、イギリス史上最長の在位期間となった女王エリザベス2世の国葬に関する計画です。

 1952年2月、父王の崩御に伴い若干25歳の王女は女王エリザベス2世として即位しました。以降、彼女は2022年9月に96歳で崩御するまでイギリス女王として君臨しますが、1960年代から彼女の崩御に備えて、国葬やそれらに伴う各種行事について計画が練られ、毎年のように見直されていたそうです。

 ちなみにエリザベス2世以外のイギリス王室にも同様の国葬の計画が練られており、それらの計画のコードネームにもイギリス各地の有名な橋の名前が使われているとか。
 橋の名前を使った最初の計画がどれなのかは分かりませんが、エリザベス2世崩御の際には「ロンドン橋が落ちた」と言うフレーズで首相や政府高官に伝えられているそうで、やはりイギリス国民全ての「マイ・フェア・レディ」であるエリザベス2世が最初だったのではないでしょうか。

 ロンドンの歴史と共に歩んできたロンドン橋は、全てのイギリス国民の心に掛かっている橋なのかも知れませんね。

 ところで「オールド・ロンドン・ブリッジ」を出版したのQueen Gamesってやっぱエリザベス2世にちなんで付けられた名前だと思うんですが、日本で言えば平成ゲームズ社みたいな感じのネーミングなんですかね?(そこ


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