父のこと
私の故郷でゴルフ場建設の計画が市によってもたらされたのはバブルの末期の頃だった。
美しい里山を守り、ゴルフ場の農薬被害から田畑を守るための父の闘争がはじまる。
反対者は父一人。各村々の全員が賛成に回り、私たちは村八分にあう。
入会地だったため、父一人が頑張って印鑑を押さなかったことで、ゴルフ場建設は頓挫。裁判闘争で勝利した。
村の仲間に入れてもらえず、いつもいじめられていた私は、父の行動の意味がわかる年齢でもあったので、辛かったけれど我慢した。
秋祭り、恒例の子供相撲大会があった。私は、土俵の上で一人、孤軍奮闘していた。
気づけば、ほぼ、村の全員を倒していた。最後、悔しかったのだろう、ガキどもが総力戦、全員で僕にかかってきた。
私は一人ひとりを見極めながら、全員を土俵から放り出し、本当の意味での最終的な勝者となった。
黙ったまま、一等賞の景品をもらうと、大人たちや子供達の視線を後ろに感じながら、土俵から降り、家に向かって歩む私の中には、異様な高揚感と自信が満ちていたように思う。
あのとき、相撲大会が無ければ、私はいじめられた記憶と共に、随分とみじめな半生を歩んでいたのかもしれない。
父の戦いはそれでは終わらず、周辺の山々の権利関係を整理し、利権がらみでよくわからない民間セクターに委託されていた山々を、森林組合を結成し、保安林に変更する手続きを、長い時間をかけてやりとげたのである。
周辺の村々を一軒一軒まわり、了解を経て、手続きを進める。
利権の旨みを吸おうとした連中はかつて私を虐めた親たちだった。
つい先日、父が安堵した顔で「やっと終わりそうだ」と言った。あれから三十年がたとうとしていた。
山々はいまも深い谷にある人々の暮らしを、静かに見守っている。
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