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一世一代の賭け

私自身は障がい者で寡婦といういわゆる弱者側の人間であるけれど、子供達はそういうバックボーンに捉われることなく、のびのびと育ち社会人になり、豊かな生活を送っている。
そのターニングポイントになったのは、夫の転勤に伴う地方住みから私の故郷である東京にUターンした時期設定にあると思っている。
子供時代は地方でのびのびと育て、教育が必要になったら環境を整える。
マイホームを売る決断時期はバブル崩壊後、ミレニアムの時期に決めた。世の中が少し上向いたと思われたその時期に、丁度子供達が中三、中一、年長という周りも恐らく予想しない時に決行した。住宅ローンを払いながら、息抜きもせずに貯めた貯金と夫の退職金で住宅ローンの残金はほぼチャラにできる計算書を夫に渡した。夫も大企業を辞めてついてくることを決めた。
私の一世一代の賭けである。
手元には当座の生活費のみという背水の陣で東京に戻った。
夫が無職でいたのはわずか2か月。自動車のテストドライバーだった夫はデータ解析の必要性から、当時としては最先端の情報処理の資格をたくさんとっていたので、SEとしての職場はすぐに見つかった。
子供達も帰省の度に訪れていた見知った土地にすぐに慣れた。
そして、言い値で家が売れて、さて、なんの心配もなく過ごしていけると思っていた矢先、夫がガンになった。
これは予想外だった。でも、家を売ったお金があったので、生活の心配はなかった。
夫が亡くなって程なくしてリーマンショックが起きて、経済は再び冷え込むことに。
以降地方の住宅価格は暴落の一途なので、ギリギリのタイミングで高値で売れたことになる。

人生にはあの時こうしていればというターニングポイントがいくつもある。
私は子供たちに豊かな暮らしをさせるという賭けに賭けてみたのだ。
今も子供たちに感謝される。あの時思い切ってくれてありがとうと。
私の方こそ、子供たちで夢を見させてもらって感謝している。