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深い話

昨日、昼過ぎに三女とその彼氏が挨拶に家に来た。プロポーズの後の訪問ということで、結婚のことも話に出た。両家の顔合わせもしなくては、と三女の子供の頃の写真を見ながら、終始明るい話題に心も明るくなった。
三女たちが帰ったあとに、友達から電話があった。
体調が優れないとのこと。私は手短かに近況報告して彼女に寄り添う。しきりに薬の飲み過ぎで頭が回らないことを嘆いていた。夕方になると悲しくなるので、昼に頓服を飲んでいるとのこと。
私は何もできないけど、自分の病状の悪かった時の話をして、
病状がハデな人ほど予後がいいらしい、と、そして、症状が目立たない人は不調が長引きやすいとYouTubeで聞き齧った知識を披露して励ました。
不安が強いようなので、人によって症状の出方に違いがあること、私の身に起こったことは、マトモな心でいたら乗り切れなかったと思う、私が強いから乗り切れたわけではないこと、都合よく記憶を塗り替えていたことを告げて、
私も病前性格は不安症だったから、不安な気持ちが辛いのはわかるよ、と寄り添った。

いつも、和やかな明るい話に終始するのだけど、昨日は病気の症状にも触れた。彼女が、私を信頼して話してくれたことが嬉しい、深い話ができてよかった、と言ってくれたので、私の方こそだよ、と返した。
彼女は、今度電話する時は明るい話題が提供できると思う、と私と話して元気が出た、三女さんも幸せになるといいね、楽しみだね、と言ってくれて安心して電話を切った。

医師や支援者さんも寄り添ってくれるが、それは相手の強さに甘えての部分が大きい。当事者同士は深く傷ついてる分、お互いに思い遣って深い話ができないこともある。大事な友達であればなおのこと。
昨日は彼女がヘルプを出していたから、自分の話を小出しにしながら、寄り添おうと決めたのだ。

春は三寒四温でやってくる。寒い日もじきに暖かくなると悲嘆にくれることなく、暖かい日が来ても寒さの用心を怠ることなく、そうこうしているうちに春本番がやってくる。

そして季節は移ろっていく。