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やり切った感

人生に課題があるとしたら、やり残したことだらけだけど、自分としてはやり切った感が半端なくて、今はひたすら消化試合を続けて日々お茶を濁しているような生活である。
何か課題を見つけよう、思い出そうとは思うのだけど、体力と共に気合いも衰えて、何かしなきゃと思う気持ちも重たくて仕方ない。
同世代でも気合いに満ちた方もおられる。歳のせいだけの問題ではない。
これから一花咲かせようという話ではない。
山に登り切ったらあとは下山。
この時に怪我なく無事に降り切るのは、登るよりも難しいと言われている。
今の私は下山の体力がない。
フェードアウトの美学というか、幕引きの仕方はその人そのものだと思うのだけど、こうしたいという希望はあるのだけど、それをどう実現したらいいのかわからない。
野生の動物のように、いつの間にか姿を消して消えるようにいなくなりたいのだ。
そして、残った人たちが、お母さんらしいね、と思ってくれるような。
そうゴールの理想は見えていても、そこにどう到達するのか、皆目見当つかない。
今のままの生活をしていてはダメだとはわかる。
生き方の本はたくさんあるけど、幕の引き方の本は皆無である。
亡夫はガンとわかってから、自分の私物を沢山処分して、わずかなものしか残さなかった。
それは潔い姿だった。
ただ、夫の本意ではなかったと思うが、位牌や仏壇などは、後のものが困るだろう。
でも、判断力がなかった私は、周りの言う通りに一通り揃えた。
私が元気なうちにお焚き上げしたいと思う。
できることから、少しずつしていくしかない。
そして、消えていきたい。
わがままを言わなかった私の唯一のわがままである。