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『戦争が遺したもの:鶴見俊輔に戦後世代が聞く』を買った。

 結婚前に娘が使っていた部屋を、少しずつ整理して自分の気に入った部屋にしようとしているのだが、遅々として進まない。おまけにせっかく空けたスペースに、サイクルトレーニングマシンを置けば、弱った足のトレーニングを再開しやすいかと、自ら提案してしまい…。まぁ、それで夫がやる気になったので良しとしよう。
 予期せぬ臨時収入があったので、気に入った文房具でも買おうと成城学園まで出かけた。そのお店は、文具だけでなく本や食器類、輸入おもちゃなども置いてある、ちょっと不思議なテイストのお店で、たまに行くとあれこれ見てしまう。
 で、ブルーのペンケースとそこに入れたいペンや小さい定規、ペン型の消しゴムなどと一緒に、棚の本を眺めていて目に入ったのが、『戦争が遺したもの』だ。少し前に読んだ『鶴見俊輔伝』でも取り上げられていた本で、インタビューアーの二人(上野千鶴子・小熊英二)にも興味があったので、そのうち図書館で借りて読もうと思っていた。それが新刊として並んでいて思わず手に取ってしまった。まもなく69回目の終戦記念日ということもあり、この本に出会ったのも何かの縁、久しぶりに紙の本を買ってしまった。
 この本は、2003年4月11日から13日、この3人が京大会館で3日間に渡る座談を繰り広げたものを、小熊氏が再編集して文章化したという。座談は昼食や夕食の間も続き、おそらく録音の総計は30時間にも及んだそうだ。
 2003年時点で、すでに公になっている鶴見氏に関することは、最初に小熊氏から語られ、対談はまさにこの場で初めて明らかにされることがほとんどだったに違いない。ここで話されたことの重要事項は、『鶴見俊輔伝』でも当然取り上げられているわけだが、その詳細な部分がわかり、サクサクと読み進められる。
 お盆休みに実家の母に会いに行く予定が、この台風で延期したこともあり週末には読み終えるに違いない。こういった本を読むとあらためて思うのは、戦後生まれの自分達の世代が、あまりにも戦争の実態を知らずに成長してしまったことだ。もちろん、肌で感じてきたことや、その時々の話題に上がる出来事や本などで知っていることもたくさんあるのだが、では本当のところはどうだったのかを、自分がきちんと理解しているとは、この歳になった今も自信がない。
 2009年に亡くなった父は、70代の終わり頃から、よく戦時中の政治家の本を読んでいた気がする。帰省するたびに増えているそれらの本のタイトルが目に入るのだが、自分が読もうという気にはならなかった40代の私であった。今なら、もう少し父と突っ込んだ話ができたかもしれない。
 来年は昭和が続いていれば100年。戦後80年を迎える。いつまで戦後と言い続けるのか、と誰かが書いていたが、願わくはずっと戦後であってほしい。この戦争で犠牲になった人々の死を無駄にしない唯一のことは、二度と戦争をしないことだと、信じて疑わなかった子どもの頃の私は、今も自分の中に居続けている。

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