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自分で選択する人生への挑戦⑤~noteを勧められる~

まずは思いつく小さなことからやってみるしかない。とりあえず朝から10分間瞑想を始めることにした。
「風が吹けば桶屋が儲かる」的発想だ。

悩んでいることを人に知られたくない性分なので、妹にも何の相談もしていなかったが、父の会社を退職したともなるとさすがに「何か悩んでいるに違いない」と察知したのだろう。
ある日、妹から「note」の存在を教えてもらった。
妹は、「文章を書くのが好きなら、自分の良い感情も悪い感情も全部さらけ出す文章を書いてみたら?書くだけでも良い効果があるし、いろいろ気づくことがあるよ。公開しなくてもいいし。」と教えてくれた。(←私より大人でメンターな妹。)

しかし、これまでSNSへの関わりを意図的に避けて生きてきた私は、そう簡単に「ありがとう!やってみるね!」というわけにはいかない。(←素直じゃない姉。)

私が意図的にSNS投稿を避けてきた理由は3つある。

●まず1つ目は機械オンチであること。
アカウントを登録するのも、どこまでが公開されているのかがよくわからない。「次へ」「次へ」と流れ作業でクリックして、勝手にインスタ、ツイッター、フェイスブックと紐づけされるのも困る。本名を隠して登録したつもりでも、実は隠れておらず、全部ばれているのではないか、など疑い出すとキリがない。プライバシー設定したり、そのやり方を調べたり、誰かに聞いたりするのがそもそも面倒くさい。それくらいなら、やらなくていいと思ってしまうのだ。

●2つ目は自意識過剰であること。
「フォロワーが少ないとカッコ悪い。」「こんな投稿をしたら、なんて思われるだろう。」「投稿したのに、何もリアクションがなかったらどうしよう。」など、とにかく周りの反応が気になってしょうがない。反応がないのは恥ずかしいし、反応がないなら投稿する意味がないと思っていた。
あとは発信して、その内容が親にばれるのがイヤだという思いもあった。
発信したことがバレて、親から何か言われるのではないか、親が認めてくれるようなことしか発信できない、という思いがあった。

●3つ目に、知りたくない情報を見たくないということ。
例えばフォロワーなどに友達または顔見知り程度の人がいた場合、その人の子供に関する投稿や、「〇〇に行きました」などのプライベートな投稿を見なければならない。
興味がないことを見なくてはならないのが苦痛なのだ。
さらにリアクションをしなくてはいけないという義務感にかられるため、ストレスが倍増してしまう。

これが、私が今までSNSを避けてきた理由だ。

しかし仕事を辞め、「もう誰になんと言われても、なんと思われてもいい。自分の人生だ!」と振り切れたことで、2番目のハードルがだいぶん下がってきた。
そこで1番目のハードルをクリアしてアカウントを作ってみた。
次に3番目のハードルだが、「note」はまず、親はやっていない。友達がやっていたとしても、「あなたのお友達じゃないですか?」的なおせっかい機能がなさそうなので、知り合いにバレて見たくない情報を無理やり見せられるということはなさそうだ。

「やってみるか‥」やっと、私の決心は固まりつつあった。(つづく)






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