見出し画像

休むことについて

自分は“休む”という事が苦手なのかもしれないと最近気が付いた。

きっかけはコロナ渦。
現在勤めている会社で、自身の感染はもちろん、同居家族の感染の際も10日間の出勤停止というきまりが出来たことが始まりだと思う。

コロナというよく分からないウィルスに対する恐怖
社員に1人でも感染者が出れば、社内除菌の為に会社自体が営業停止になるというプレッシャー(コロナ発表当初)
コロナ感染で目立ちたくないという心理的ストレス
感染したことで職場に迷惑をかける恐怖
無症状という感染状態があり、知らず知らずの内に隣の人の命を奪ってしまうかもしれないという恐怖

私は他人に迷惑をかけるというプレッシャーに弱かった。

少し体がだるいだけで、「コロナかも・・・。」と恐怖し、仕事から帰ったら、とにかくたくさん食べ、21:00には寝て、やりたいことも何もかも我慢して、体調をよくする事だけに集中した。

一人暮らし、独身
家にいれば感染することはほぼない

休日は極力人との接触はさけ、感染しないことを第一とした。
実家は近いが顔を出さなくなった。

ある時、胸のつかえと、喉の締まりがずっと取れない時期が続いた時の事
心配すればするほど治りは悪く、不安に耐えられなくなり実家の母と姉に連絡をした。

私があまりにも深刻な声で話すものだから
「コロナかもって、心配しすぎだよ~!」と最後には笑われてしまった。

さんざん笑われた後、喉のつかえがすっと取れた事に気づき自分でも驚いた

とにかく私は、自分が感染して死ぬかも、、、という心配より、他人に迷惑をかける事に対してとても恐怖を抱いていたように思う

そんな思考回路の私に追い打ちをかけたのが、冒頭にも書いた、今務めている会社のコロナへの対応だった。

私は一人暮らし、独身

もちろん会社には家族持ちの人も多く、独身でも実家暮らしがほとんど。
「家族が感染して、、、」
「風邪の症状があるから、保育園が預かってくれなくて、、、」
「学級閉鎖になったので、しばらくお休みいただきます、、、」
「保育園から呼び出しが、、、」

同居家族の体調不良も一定期間の出勤停止になっていたので会社を休む人が絶えなかった。
休む人も大変だったとは思う。家から出られない。看病に追われる。自分も感染してしまう。大変だったとは思う。

「大丈夫です、早く行ってあげてください」
「大変ですね、大丈夫ですよ」
「こっちは心配しないでください、大丈夫です」
「大丈夫ですよ、お大事に」

大丈夫、大丈夫、大丈夫、、、

「すみません、先に帰らせてもらいます」
「~さん、ご家族のコロナ感染でしばらく休むから、よろしくね」
「こんな時こそ力を合わせないと!あなた独身なんだから残業できるでしょ」
「~さん保育園が閉鎖でしばらく出て来れないからフォローよろしくね」

大丈夫、大丈夫、大丈夫、、、

上司もコロナ渦のストレスを抱えていたのかもしれない
私に冷たく当たるようになった
私が言い返さないから、当たりやすいんだと思う

大丈夫、だいじょうぶ、だいじょ、、、私は?
私の心の中のバケツはすでにいっぱいだった

「大丈夫です」と上手く言えなくなった。
ますます上司のあたりがきつくなった。

「長期お休みを頂いてご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
「これ、よかったら食べてね、ご迷惑をおかけしました」
「ごめんね、またお休みもらいます」
「実は子供が出来て、ちょっとお休み増えるかも」
「今日ちょっと朝から家族の体調が良くなくて、お休みします。すみません」
「お休みの間、ありがとう」

もう謝られても、感謝されても何も受け入れられなくなっていた。
そんな自分が嫌いで、嫌いな自分が出てくる、この空間にいたくないと思うようになった。

「私は感染しないように、自分の時間を犠牲にして努力してるのに」「私は迷惑かけないように自己管理をしてるのに」

・・・・・
本当は優しい人でありたい。

「私が独身だからいけないのか?」
「私が良いですよって言えないからいけないのか?」
「私が大丈夫ですって言えないからいけないのか?」
「家族がいる人の優先順位が高くて、じゃあ私はいつ休めるのか?」
「おめでとうって言えない自分は最低の人間なんじゃないか?」

・・・・・

「もう都合のいい人になるのは嫌だ」
「何もかも信じられない」
「優しくしたら付け込まれる」
「愛想よくしたら仕事がまわってくる」
「頑張れば頑張っただけ、仕事が追加される」
「余裕を見せてはいけない」
「笑ったら余裕があると思われる」

・・・・・

私は今日、仕事を休んだ。
朝起きて久しぶりに天気が良い空を見て、休もうと決めた。

用事もない、体調も悪くない
ただ起きた時に、どうしても起き上がる気分になれなかった
今日休んでも、減給になるわけでも、クビになるわけでもない
今日行っても行かなくても、お給料は変わらない

世の中は有給取得率を上げる事を推奨している
コロナが落ち着いた今も、コロナ渦と同じぐらい、みんな有給を取るようになった。休むことが普通の事になって、とてもホワイトな会社だと思う。ついていけないのは、私だけ。仕事を休むことに罪悪感が強い私が悪い。世の中についていけない私が悪い。

日本人は働きすぎだ。
学生時代も学校を休まない人は皆勤賞をもらえた。
私は体も強く、いつも皆勤賞だった。
今だって、病院に行くことはほとんどない。
それを褒めてもらって育ってきた。それをよしと教育された。
だけど、最近はすぐに体調不良で休む人を羨ましく思う。

だけど健康が何よりの宝ではないのか?
健康でなくては何もできない。
健康な人が、不健康になるまで働く理由なんてない
体が健康でも、心が不健康になったら、やりたい事も出来ない

私は、一生働きたいと思っている。仕事が生きる原動力になるような、そんな人生にあこがれる。年を取ったら、年を取った分だけの知識と経験が生かせる人生にあこがれる。毎日キラキラしたい。毎日ワクワクしたい。
朝、起き上がりたくなる様な人生を送りたい。

コロナは自分にとって”休む”という事に対して考えるきっかけだった。
すべての事に意味がある。
起こったこと全て、意味がある。

自分の人生、楽しんだもの勝ち。

会社が私の人生を守ってくれるか?
みんな他人より自分が大切だ。そしてそれは当たり前の事。

人の為に、人の為にと行動しても
本当にその人の為になっているとは限らない。

これからの人生、どう過ごすかは自分次第だなって

もう1日ぐらいお休みしようかしらなんて
今、凄い事を考えてます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?