中山博貴

中山博貴

最近の記事

妻、がん、自然療法6

2017年2月 母は1月末に実家に戻り、東京での新生活が始まった。このころ僕の読書、自然食が行き過ぎ、治療も自然療法がいいのではないかと、副作用の対処策として薬でなく、自然由来のものを使うべきなのではないかと思い始めていたというか、始めてしまった。 玄米菜食も慣れてきて、妻の体調は落ち着いていたが、皮疹への対処策として薬をやめ、生姜のしぼり汁を使って皮疹を抑えようとした。その翌日から酷い皮疹が顔に出始め、すぐに生姜は中断したが、妻はもう外出しなくなった。僕は猛省したが、大筋が

    • 妻、がん、自然療法5

      2017年1月 2017年1月第一週、妻が薬を飲み始めて約一週間、経過観察のための診察があった。薬の効果があったのか、検査画像上、右肺の原発巣の影は少し縮小したように見えた。腫瘍マーカー値も正常範囲内ではないものの年末より低下していた。医師によると副作用も想定よりも軽度(随分軽度って、酷い場合どんなことになるんだ・・)だとのことであった。1月23日に診察し、薬の効果が見られ、副作用も想定内であれば正式にこの薬で治療を続ける判断ができるとのことで、その判断を確認し、東京での治療

      • 妻、がん、自然療法4

        僕の玄米菜食実績 話はずれるが、2016年1月から僕は玄米菜食を実践していた。2011年から太りはじめ、元々68㎏前後だった体重は84㎏となり(身長は178㎝)、健康診断の結果は血中の脂質異常(LDLコレステロールが異常に高い)、脂肪肝・・・・等々という状態であった。玄米菜食をはじめ二週間ほどで体が随分軽くなったと感じられるようになった。毎朝暴力的な便意があり、お腹周りも心なしかすっきりし、体調が変わっていくのが面白くなってきた。3月には人間ドックがあり、体重は74㎏、血

        • 妻、がん、自然療法3

          当面の治療方針は固まったが、どこで治療を続けるかも課題であった。信頼できる(そうな)医師のいる関西で治療するか、今までの生活を大きく変えずにいられる東京での治療を選択するか。 妻と話し合ったが、妻はこの状況であっても子供の生活を第一優先にしたいという希望であり(妻と僕には8歳の息子、5歳の娘(いずれも当時)がいる)、変わらず東京での生活を望んだ。 医師にその旨を伝え、ジオトリフでの治療で進められることが確認ができれば(大凡一ヶ月)、東京に戻れることとなった。 妻の両親、家族は

        妻、がん、自然療法6

          妻、がん、自然療法2

          姉に手配頂き、早速その翌週には、姉の出身大学付属病院(関西・妻の実家も関西)で姉の同期で親友の医師に検査からお世話になることになった。ここまでで約一ヶ月もかかってしまったが、関西に帰省し、年末までの一週間弱で検査、無理言って検査結果もなんとか出して頂き、年内に治療方針を決める、というスピード感で治療が開始できることとなった。 年末大学病院での内視鏡検査等の結果、“原発性肺癌‐非小細胞癌‐腺癌‐遺伝子変異有”という診断であった。原発巣は右肺であるが、がん細胞は細かく両肺に転移し

          妻、がん、自然療法2

          妻、がん、自然療法1

          2016年12月 妻に咳、風邪の様な体調不良が続いていた。東京に出てきて約7年、毎年秋から冬へ季節が変わるこの時期には同じような症状が出ていたこともあり、一週間、二週間と不調が長引いても特に気にもせず、僕は年末慌ただしくなる仕事に追われていた。また半年前の人間ドックで異常が無かったこともあり安心していたのかもしれない。 しかし更に日が経つにつれ、妻の咳き込みはひどくなり、胸の痛みも訴えるようになった。 12月初旬、近所の耳鼻科(今思うとなぜ耳鼻科!!)を受診した。“副鼻腔炎”

          妻、がん、自然療法1

          妻、がん、自然療法0

          今日から僕は、書きます。 2016年12月、当時36歳の妻がステージ4の肺がんであることが分かった。34年の人生で一番取り乱した。 患者家族のほとんどは同じだと思うが、その時まで全くがんに関する知識はなく、藁をもつかむ思いで“がん”とつく情報なら何でも読み漁った。標準治療以外にも効果があると言われているものはチャレンジしてみた。そのお蔭かは証明できないが、幸いにも2023年8月現在、妻は元気にしている。妻ががんだと知らない方なら治療を継続しているがん患者には見えないと思う。

          妻、がん、自然療法0