愛情は程度ではなく

「そんな程度だったんだよきっと」
これは私が言ったことのあるセリフである。後悔、している。本当に、そうだろうか?

「そんな程度」にはこんなような(これは妄想である)経緯が含まれているはずなのである。
『結構かわいいあの子と食事に行き、結構たのしかったので、3回デートをし、告白したらすんなりとOKをもらったので、僕の退屈な2回生の夏は、なんとなくあの子と過ごしているうちに、少しずつあの子にも夢中になっていった。でも、あの子は不安症なので、僕が即座に返信しないと怒ってしまうようになった。わかってはいるけれど、遅くなってしまう。そのたびに申し訳なく思う。あの子への関心は少しずつ薄れていく。でも離れたくはない。そしてついに「そんなもんだったんだね」と言われてしまった。』
これが、「そんなもんだった」愛情として済まされるだろうか?いや私に言わせてみれば、これはもたついたピンク色のシーツに、アンバーとバニラの重い香りのついた何かであることを、「僕」とあの子だけが知っているはずなのである。それを「僕」はたまに思い出すのである。

愛情がもし0から100のレベルで表せるとしたら。
大小で目に見えるとしたら。
長さと短さだったら。
あの人は最低で、でもこの人は私をこれだけ好きだったの。
そんな白黒の世界でどうして私たちは傷つき悲しみまた喜ぶだろう?

ある時から愛情、恋愛、「そういうもの」が、奥行きのある、色や匂いがついた何かではないか、それぞれの個性を持った何かとして表現できるものではないかと感じるようになった。恋愛というものを、一つのまとまりとして理解するには難しすぎる。パターン化できるはずもない。全ては読めない人の心である。さらに恋愛をする手段も多様化し、もはや他人にアドバイスなどするのも億劫だ。従って、恋愛というものは、無数のパターンにわかれた、胸がキュッとなるやつで、はたまた安心するもので、ある時とまた違う時には、完全に別のものとして体験することのできるものではないかと、思うようになった。

例えば、(全て妄想である)

  • 中学生の時の初めての彼氏とは、三週間しか続かなかった。違いにギクシャクし、自然消滅になった。
    …これは、薄い水色の、石鹸の香りの何かかもしれない。

  • オンラインで出会って意気投合し、一年連絡を続け、ようやくあったのち恋愛関係に発展。遠距離恋愛を5ヶ月続けるが、辛すぎて破局。やりたいことと両立しながら離れていても楽しく過ごした日々は忘れることはできない、素敵な思い出。
    …これは、16進数カラーコード#E48586のビタースウィートな、でもゆったりと燃え尽きた何かかもしれない。

  • 夏の短期のバイト先で出会った彼とは、驚くほど早いスピードで恋を進展させ、しかし驚くほど早いスピードで傷付け合い別れた。…これは、もはや「2017夏」そのもので、一番短いのに、一番忘れられない稲妻のような何かかもしれない。

  • 向こうの校舎の彼とは話す機会もなく、すれ違い様にチラリとみるだけ。そのまま卒業の日を迎えてしまい、勇気を出して送ったメッセージはあっけなく終わってしまった。…これはもはや、銀杏BOYZ「恋は永遠」の曲そのものでしかない可能性だってある、その子にとっては。

  • 50年寄り添った妻は、家族みんなに見守られて、天国へ旅立った。その奇跡が、今日の私を肯定している。…これは、柔らかくて、安心する、しかし重みのある、なかなか壊れない、夕焼けの色の、太陽の匂いのする何かなんだろう。妄想の範囲ではわからない何かである。

  • 親子。…この愛は、「コメディ」かもしれない。

そうやって自分にしかみることのできない、感じることのできない色や形、匂い食感、風圧、触感、音楽となって恋愛はインプットされているのではないかと考えると、毎回が新しい体験で、全く違う学問を掻い摘むような感覚になる。私だけだろうか?過去の経験と現在の経験を重ね合わせてしまって辛くなることもあるが、毎回違うことをやっているんだと思うと、トラウマがトラウマでいられなくなる。あの時恋愛していた自分は、違う宇宙にいる、みたいな感覚でもある。だから、思ったより前より辛かったりするし、幸せすぎて戸惑うこともある。こう考えると、結婚や離婚も、人生の一部でしかないと考えられそうだし、またその過程で経験したことや時間を「無駄」と考えることなく、奥行きや深みを楽しめるようにになるかもしれない。







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