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山田君 不動産で世を渡る(プロになる)※平成バブル 軽井沢深山荘編

季節は夏から秋へとさしかかっていた。軽井沢はすっかり秋になり、夏の間にあんなにいた観光客もまばらになった。軽井沢は春物商品である。観光客は5月のゴールデンウイークから8月のお盆までが最盛期で、飲食店も半年で1年分の売り上げをあげなければならない。
 
東京電機大学の保養所を俺は落札した。入札で2位じゃだめなんです。売却先は決まっていない。実需でない別荘である。1億4千万で落札したはいいが、不安が俺を苛める。契約後に石碑は撤去され確認後に残金を支払った。

毎日が不安である。考えられることはこの素材をどう料理するかである。解体して建築条件で売るか、リノベーションして建物付きで売却するか俺は悩み焦っていた。

建物内部はとにかく空間が広くて、一般的な別荘として利用するには相当な手を加えなければならない。古い木造建築のため傷みも多数見受けられた。

社内の設計にリフォームの案と概算見積もりの積算を依頼した。数人がチームとなり、現地に調査に出かけた。その間俺は俺で別の案件に取り掛かっていた。

物件取得してからひと月ぐらい過ぎたころ、俺のもとに軽井沢町役場から電話がはいった。
軽井沢の知識人たちから俺が取得した物件の解体を阻止する要望や苦情が寄せられているとの内容である。合法的に取得した物件を第3者にとやかく言われる筋合いはない。こちらは命がけで商売をしているのだ。付加価値をつけ転売するのが目的なのだから。俺は一方的な住民の苦情に腹がたった。
ただ、歴史的な建物だということを初めて知った。オークラヤからも聞かされていなかった。太平洋戦争の石碑は撤去し既になくなっている。


俺は建物の歴史を初めて調べた。するとこの建物はスイスの公使館だったのだ。戦争中に外国の要人たちは軽井沢の地に強制疎開されていた。終戦直前にスイス公使とポツダム宣言の受諾交渉が行われた場所だった。


マジでこの時初めて知った。当時は重要事項説明で建物の履歴の説明義務がなかった。
これで建物の解体という考えはなくなった。


とんでもないものに出会ってしまった。とにかくこの物件から手離れしたい。渡りに船ではないが、俺は軽井沢町との買取協議に入った。こちらは所有者だ。日本の現行法では所有権絶対の法則が保証されている。収益処分はこちら側に分がある。と強気の交渉。(ちょっと意地悪)

結果、取得費と販管費と少しの利益で軽井沢町に売却した。俺は胸をなでおろした。実需でないリゾートは博打である。リゾート物件はまるで絵画取引のようで、値付けの根拠が主観的で結果的に度胸との勝負になる。

現在旧スイス公使館(深山荘)として一般公開されているこの建物の歴史の裏側の最後にこの俺がいたのは事実である。誰も知らない。

物語の結末として今思うのは、これでよかったのだ。
孫ができたらここを訪れてみよう。これからもずっと深山荘はこの場所にあるから。








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