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2022年の振り返り

12月28日で弊社は仕事納め。
最終日も少し片づけや掃除をするものの、通常運転でした。
改めて思いますが、年末になると大掃除や1年の感謝など自分を含め身を綺麗にするという気持ちになります。
日頃から身の回りを整え、周囲に感謝の気持ちを伝えていれば特段慌てることはないのでしょうが・・・
毎日を全力で生きているつもりでも、何かを取りこぼしながら生きているんだなと感じます。
そして取りこぼしたものに目を奪われたまま前に進もうとしている。
後ろを見ながら前に進むというのは本当に難しいなと思います。
古来からある年中行事などは行事そのものに意味があるだけでなく、行事を通じでそういった自分と向き合う期間としても捉えられると思います。

自分にとって本当のゴール設定ができているのか

前に進むという事は、どこかの目的地に向けて歩みを進めている訳です。
目的地の設定は個人によっても組織によっても異なりますが、凄く近い場所を設定している方が多いように感じます。
当然、近くを見ると目線は下がってしまいます。
本当はもっと遠い場所を見ていいはずですし、見れる能力も持っているはずなのにマスコミも含めて社会の仕組みが大きなものを見ないようにさせている気がします。
その結果、とにかく生活を維持する、この瞬間が楽しければいいという先の展望が見えない人生を送ってしまっている方によく出会います。
どんな人にも『本当に望む自分の姿』は言葉にできないまでも持っていると思います。

この瞬間を大切にするのはいいけど、長期でみたらもっと凄いことができるし感じられる。

考えるとワクワクする、今すぐ行動したくなる何かがあると思います。
そして、その時考えてみて欲しいのです。
自分がワクワクするのは『自分が何かをしているからなのか?』という事です。
実は多くの倖せというのは、起きた現象ではなく、そこに至るまでの人の営みや関係性によって成立しています。
人間は一人で生きている訳ではありませんし、一人で倖せを感じている訳ではありません。
必ず周囲の人、それも顔も名前も知らない誰かも含めて多くの方の貢献によって成り立っています。
私は倖せと『嬉しい』『楽しい』『おいしい』と倖せは全く別物だと思います。
倖せを感じる瞬間はどんな時か聞いてみると、おいしいものを食べた時、欲しいものが手に入った時という表現が多く出てきます。
人によって感じるものは違うにしても、それらは単なる喜びや楽しみになるのではないでしょうか。
私の感覚では、倖せとは感謝や安心、喜びや楽しみが入り混じった言葉にするのが難しいもののように感じています。

色んなものが混じり合って、結果美しい。

凄く遠回りしてしまいましたが、自分のゴールを設定しようとしたとき『自分のしたいこと』からスタートすることが多いと思います。
私はそれでもいいと思います。
でも、より多くの人と自分のしたいことを共有できる相手がいる方がワクワクしますよね。
一緒にやろう!って言ってくれる仲間がいる方が可能性が見えてきますよね。
そう思えたら、ゴール設定の道筋には想いを共有できる仲間を作ること、周囲で支えてくれる人たちが豊かになれるように尽くしていきましょう。
それが倖せに繋がり、最終的に自分のゴールへの近道でもあると思います。

自分の事を最短距離で走ってもいいけど、伴走者は付いてこれない。

自分の目的や目標を他人と共有するだけでなく共に行動する為には、自分の目的が相手のそれよりも大きなものである必要があります。
小さな目的は共感する相手が極端に少なくなります。
その分、必要とされる能力や仲間は少なくなります。
人それぞれの価値観にもよりますが、簡単に達成できてしまう目的に命を燃やすより、自分一人では達成できないが多くの仲間と共に目的を共有できるゴールの方が自分の命を使うに相応しいと思いませんか。
私達一人一人の命は決して軽いものではありません。
一人の人生も多くのものが詰まっています。
『自分なんて・・』と思わず、恥ずかしくなるくらい大きなものを描いてみましょう。

相手の目標を自分の中に取り込んでしまいましょう!

年末年始、親族や昔からの友人とも会う機会があることでしょう。
多くの方に出会い、多くの倖せや経験を体験しましょう。
そして年末に相応しく、自分の1年を振り返りると同時に自分の来年とその先を描く時間にしていきましょう。

想いを馳せて描きましょう。




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