和蠟燭の灯

和蝋燭は絶滅危惧種!?

本日、京都は伏見区竹田駅直ぐ近くの有限会社中村ろうそく 田川社長の元に訪問させて頂きました。
和蝋燭という存在は辛うじて認識してはいましたが、何から作って、どんな工程を経て作られているかは知りませんでした。
なんと、現在日本で和蝋燭を作っているところは約10か所。
和蝋燭は今や入手したくても特定のルートでなければ入手できない代物になりつつあります。

看板が歴史を感じさせる店構え!工房も兼ねておりますので、見学可能かも?


和蝋燭は完全循環

和蝋燭の原料は櫨(はぜ)の実です。
櫨はウルシ科なので、1年程乾燥させないとカブレるみたいです・・・。
1年乾燥させたものを粉砕し、蒸してから玉絞りで搾油するんだそうです。
結構手間がかかります。
しかし実は林業が衰退した為に、産地が失われ原料の入手が困難になっています。
という事で、かなり貴重な資源である為、特定のルートしか流れないんだそうです。
現在は米糠油とパーム油をオリジナルブレンドして櫨の特性に似たものを作っておられるそうです。

ネットから拾ってきました。櫨の実です。


もともと和蝋燭の成り立ちは、鬢(びん)付け油なんだそうです。
鬢付け油の半分は蝋だそうで、いわば江戸時代までは実需品であり
日常における消耗品という事になります。
そして、これはあくまで一級品の蝋であって、実は和蝋燭に使われている蝋は二級品で、搾油した時に少しゴミが入ってしまったりして鬢付け油には使えないものが使われています。
それらを固めて蝋燭を作っているんです。
また蝋燭はご存じの通り、火をつけて溶けた蝋を固めて火を付ければ、新しい蝋になります。
そして蝋燭の芯はイグサでできており、回収した蝋燭の芯の部分はおがくずと固めて固形燃料となります。
そして焼けた後の灰は地球に戻る・・・という完全循環の出来上がりです。

固形燃料を購入して燃やしてみましたが、まるで焚火です。

改めて、江戸時代が高度な文化水準を持っていたこと、知的能力が高かったことを思い知らされました。

和蝋燭の火は生きている


洋蝋燭と和蝋燭では素材が違う事もあって、火をつけた時の動きや音が全く違います。
上手く言葉にできないのですが、力強いんですが、ジジっと音がしたり、微妙に揺れて、まるで生き物のように感じます。
あと、これは個人差があるかもしれませんが、香りがいいんです。
明るくするだけなら電球でも事足りるんでしょうが、明かりを消して蝋燭に火を付けじ~っと見ていると不思議と心が落ち着きます。

さて、蝋燭といえば『お寺』が大得意先様となります。
和蝋燭の灯が照らすのは人間の生活だけではありません。
そうです、『仏像』です。
『蛍光灯やLEDに照らされた仏像は美術品としての美しさがあるが、和蝋燭に照らされた仏像は形容しがたい現像的なものがある』とおっしゃっていました。
和蝋燭の光に灯される事を前提に設計された仏像が現在も残っている事を考えると、今私たちが参拝してみている仏像は実は本来の美しさや強さを見ていないのかもしれません。
本質を見るには、その成り立ちを理解し正しい方法で進まなければならないと感じます。

更に、和蝋燭はお寺の講堂そのものを守ります。
和蝋燭は燃えると煤が出ますが、その煤が梁や柱の隙間に入り虫などから建物を守っています。
尚、和蝋燭の煤は『はたき』で簡単に取れます。

昔の掃除道具といえば『はたき』


数百年も修繕を加えず維持できていた寺社が、ここ数十年で修繕が多発しているのはエアコンの使用と和蝋燭から洋蝋燭または電気への切り替えが原因だと考えられているそうです。
ちなみに、洋蝋燭は動物系や石油系を原料としており、出た煤が寺社内の天井絵や襖などに付着すると洗剤を使わなくては取れないんだそうです。
煤を取ろうとすると、描かれている絵そのものまで取ってしまい、結果修繕が必要となるケースも多いようです。

相互に作用する美しく設計された日常生活


正直、蝋燭一つでここまで多くのものが影響を受けているとは想像ができませんでした。
日常にありふれた、ただ明るく灯すだけの役割と思いがちな蝋燭に、これだけの役割を持たすことができるのか・・・という驚きしかありません。
長年の経験の中で得た数値には表せないものの中から、本当に有意義なものだけが時代を経て受け継がれる。
これが『伝統』なんだと改めて感じました。
先人が数百年もかけて積み上げてきたものを、たった数十年の短い期間に『役に立つ立たない』『儲かる儲からない』で切り捨てていくのは、自分も含めて傲慢な在り方だと思います。
日本人の持つ美的センスが日常に花咲いていたであろう江戸時代には、物の豊かさや経済の豊かさは今と比べて劣っていたかもしれませんが、人の心の余裕や『あるもの』で美しく日常を彩る力はきっと優れていたのでしょう。
凄く羨ましい気持ちになりました。

社会と会社の関係性


和蝋燭の持つ光の素晴らしさと、家屋を守り、余すことなく循環できる能力は、まさに『社会にとって必要な存在』です。
しかし、そこに全く派手さはありません。
これは私の考える社会と会社の関係性の理想そのものです。
時代の寵児の様な華々しいものも必要だと思いますが一体いつまで正しい姿で走り続けられるのか?と心配になる時もあります。
小さな光ですが、確実に人の役に立ち、日常の当たり前の場所に当たり前にいる、という会社になりたいと思っています。
そして、その会社から出る香りや音や煤は社会の何かを守ったり、困った誰かの立ち直るキッカケになる、そんな会社になりたいな・・・と思ったりします。
じゃあ、具体的には何?と言われると答えに窮するのですが、これから色んな経営者の方や社会課題の現場に出会い、心から沸き立つ『憤』を具現化していきます!


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