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ただ、楽しむということについて

ここ最近、ふとただ楽しむということについて考えます。今書いている文章は、ただ文字を書くことを楽しむ、ということを目的に書いています。なんでこんな事を考えているかというと、ふと気がついたからです。昔から「楽しい」と感じたことでも続けるうちに義務感みたいなものが芽生えてしまって、いつの間にか「楽しい」ではなく「苦しい」に近い感覚になっている物事が多いなと。街を散歩しているときや、キーボードで文章を書いているときに、ふと。

これを読んでいるあなたも、同じような経験がありますか?(誰かに読まれるかはわからんけれども)たぶん、こんな経験ないほうがいいんじゃないかと思いますが、みんな同じような経験があるんじゃないかと勝手に推測します。

どうしてこんな事になってしまうのだろう?と自身を振り返って原因に思いを巡らしてみると、他人を意識していることが浮かびました。趣味で始めるブログも、絵も、プログラミングも、どれをとっても先駆者がいて、無意識のうちに彼らと自分とを比較し、上に行くことだけを考えてしまう。そうすると、目の前で起きていることは楽しむものではなく苦しんで上達するもの、みたいに見えてきます。そりゃ疲れますね。

思えば学生時代も社会人になってからも他人と自分とを比較し足りないところを埋めアドバンテージが有るところを伸ばすことに毎日の気力を注いでいたと思います。実際には毎日ではないにせよ、大体の感覚として。

最近はその事に気がついてからただ楽しむということについて考えます。文章を書くとき、勉強するとき、本を読むとき、目の前にある瞬間を純粋に楽しむという行為は意外と難しいけれども、とても心地が良い。仕事じゃなければ誰に断る必要もなく辞めていいし、放り出してもいいし、上達しなくていいなって、思えると心地良いです。それで誰かに迷惑をかけて怒られることはないので。

といった感じで最近生きてます。

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