溢れかえるモノと向き合いながら「もったいない」を詠う 

三年ほど前、母が施設に入ったので、主の居なくなった実家に移り住んだ。間取りは3LDK+納戸+屋根裏部屋。昭和の時代から住んでいる家、御多分に洩れず、どの部屋もモノであふれていました。

父が亡くなったのは十数年前なのに、父の残したモノが、まだまだてんこ盛り。中には着古したパジャマまであり、とにかく不用品だらけと言っても過言ではありません。

昭和一桁生まれの母は、物が捨てられない世代の人。
合言葉は「もったいない」。

もちろん、もったいない精神は素晴らしいと思います。そうね、SDGsの時代ですものね。ケニア生まれのワンガリ・マータイさんという方が、2005年2月に来日され、「もったいない」精神に感銘を受け、”MOTTAINAI”という世界共通の言葉として広められたと言う話も知っているし、『日本の美徳』なんて言葉が頭をよぎります。

ところがその実家を建て替えるため、荷物を処分して引越すことになったのです。「必要は発明の母」とはよく言ったもの。はい、私は切羽詰まらないと行動できない人間、発明はできませんが…。半径50mの世論調査では、ほとんどの人は「切羽詰まって」から行動する派。引越しするなら、モノを減らさなくては…。不用品を処分してくれる業者さんと引越し業者さんを手配し、退路は絶った。

さあ、一週間で少なくとも要・不要に分類するぞ!

引越しの話を聞いた友人が仕事場で使うからと、タオルと名の付くモノを引き取ってくれることになった。フェイスタオル、バスタオル、タオルケットなど、洗濯済なら新旧どちらでもOK。そこで自分で使う(であろう)タオル類をよっこして(北海道方言、よけておくこと)、進呈するタオル類を段ボールに詰めたら4箱になった。喜んでくれるかな? 

達成感にテンションを上げて納戸に立ち向かう。

箱一杯にクリーニング店由来のハンガーが入っていたり、トイレのフタカバー&マットが何組も出てきたり、折りたたみ傘も10本以上出てきた。あまりのカオスに自分の使命を忘れそうになる。要・不要の分類をすること。

母は筋金入りの「もったいない、捨てられない」人。私にもその精神が脈々と流れていることは自覚している。「もったいない」精神のどのような側面が問題なんだろう? 10本の傘を要・不要に分類しながらふと疑問に思った。

母の場合は、戦後の物のない時代に育ち、豊かさの象徴が「物的豊かさ」であったことは容易に類推できる。そしてやりくりに苦労した子育て時代を経て「自由に好きなものが買える素晴らしい」時代に突入し、ストレス解消も手伝って増殖を続けたモノたち。

分類しながら一つ気付いた。今更だけど、「しまうと忘れる」。

母も私もモノが増える理由の一番か二番は、しまうと忘れ、忘れて買ってしまうことだったりする。片付けの初歩の初歩で言われている通り置き場所を決めること。そう言えば実家に転居した時、キッチンのありとあらゆる所からラップが出てきたので、集めてみたら「きっと私、一生ラップ買わなくても良いわ…」というくらいあった。置き場所が決まっていない → 使いたいけど見つけられない → 買わなくちゃの無限ループ(笑)。

そして見逃せないのは、もしもの時のため…というリスクヘッジ。
そうそう、北海道は胆振東部地震でブラックアウトを経験し、もしもが本当に起こってしまいました。幸い水道は大丈夫だったし、電気の復旧に3日程度かかりましたが、家には各種在庫が取り揃えてあったので、あまり困りませんでした。もったいない精神の底流にひっそりと流れているのは、「今度使う、いつか使う、だから買う、だからしまっておく」というリスクヘッジ精神なのかも知れません。

聞いた話では、ブラックアウトの時、家に在庫を置かない主義の若い方たちは食べるものにも困ったとか。「ほら、やっぱり」と自己弁護していては、モノは減りません。リスクヘッジしつつもモノを減らすための在庫管理が重要と心に刻んでおきましょう φ(.. ) メモメモ

さて、モノを減らすために買わないという事は少しずつ出来るようになってきたような気がしているのですが、肝心の「捨てられない心」はどうなんだろうと分析してみました。

半径50mの世論調査でも「捨ててしまったあるある」として、「捨てたら必要になって後悔した」と何人もの方が口をそろえます。これはなかなか克服しずらい問題です。

「捨てた後から必要になった」「買うの?」「えーあったのに」「捨てなきゃ良かった」「とっても悔しい」「無いと不便」そんな心の声と向き合った時、「とっても悔しい」を克服すべきなのかな…と思いました。不便は何とかできると思うけど、「とっても悔しい」は心の問題。

ところで「捨てられない心」の本質は、「捨ててはいけない」と言う呪縛にも似た思い込みと、「とっても悔しい」に通じる「モノ捨てる=お金も捨てる」という損した気分…もう少し格好よく言えないのかとググって見つけた「人間の損失回避性」のような気がします。

損失回避性とは、「得を求めるよりも損を避ける」人間の心理傾向だそうで、人は損をする可能性を感じた瞬間、必要以上に保守的になったり、リスクに恐怖心を感じたりするらしいです。

誰だって、損するの、嫌だよね。

よくネットに載っている様々な「片付けの極意」では、「モノを片付けて空いたスペースを賃貸費用に換算すると得をした」なんて(へ)理屈が載っているけど、「捨ててはいけない」呪縛と損失回避性が染みついている私の心には、残念ながら響きませんでした。「とりあえず置くスペースはある」。結局「捨ててはいけない」呪縛と「損した気分」は漬物石みたいにズシン・ズシンと心に。

この気持ち、克服できるのかな…。

今はもう仮住まいに転居していて、びっくりするくらい多くのモノを処分したのに、まだ一部屋、段ボールで埋まっています。とりあえず、仮住まいに持って来てしまったモノを「捨てるモノ」と「バザーに出すモノ」に分類しています。バザーに出してもきっと売れないと思うけど、「誰かの役に立つかも」という淡い期待で自分の心を納得させようとしています。

呪縛の克服にはまだ時間がかかりそうですが、仮住まいを出る頃には進化した自分になっていると信じましょう!!

呪縛にも 似た罪悪感 克服し 勝つ日が来るさ 捨てる快感

おあとがよろしいようで。

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