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第三次世界大戦は自分の中で

いつも自分は
探し物がないときに「ない!ない!」って探していたのだが
「これってもしや...」と思って「ある!ある!」って探したら、だんだん自分の意識が方向転換していくのを実感してきて、そのあと少ししたら、探し物が見つかった。

ただ、その時「ある」という言葉を発するのになんだか抵抗を感じたんだ。

自分の中に「ない状態で居たい」という感情があったのだと思う。

探し物が見つからないことで、寒い外に出る必要がなくなるし、万が一の事故などに合うこともなくなる。
何かトラブルがあってパートナーと揉めることもなくなるし、その他不測の事態が起きることもなくなる。
そう考えると、「ない状態で居ること」はなんてラクで天国みたいな世界なんだろう、と思う。


この話に限らず、なんでもそうだと思うんだ。
子どもの頃からのトラウマ、家庭環境、境遇、性格、癖、外見、病気、人付き合い、お金、などいろいろなことを理由に
「ない状態」にしがみつく。

もちろん、「ない状態」は苦しいし、辛い。
しかし、既に知っている「ない状態」を繰り返す間は、予測可能で分かりきった苦しみだけ耐えればいい。
それがどんなに辛いことだろうと、新たに予測不可能な苦しみに合うことはなくなる。
何より、生物として一番の不幸である「死」は避けられる可能性が高くなる。


しかし、それが通用する時代はだんだん崩れはじめてきているようだ。

コロナあたりからいろいろな人の現実に予測不可能な苦しみが押し寄せ、「苦しいけど安定した生活」がどんどん崩れはじめてきている。

これは、一見、とんでもなく辛く不幸なことのように見えるのかもしれないが、僕にはそれは"希望"にしか見えない。

生まれてからずーっと、ハートの奥の奥の方に押し込まれ続けていた「本来の自分」が「今だ!」と一気に出て来ている証拠だと思うから。

この混沌とした現実は「本来の自分」と「エゴの自分」の言わば『戦争』が表出したものだ。
第三次世界大戦は、僕らの内面で起きていることなのだ。

それが腑に落ちるようになると、今自分の周り、世界で起きていることも意味がわかってくるようになる。

これからも自分や自分の外側で、どんどんと混沌とした現実がやってくるだろう。
そして、それが何を意味するのかがわかった人から順に新しい世界へ移行するのだと僕は思っている。

だから、今はその揺れを感じきって、苦しみさえも楽しめばいい。

楽しめるようになってくると、揺れている人を見たら「順調だね!」と思うし、自分が揺れていたら、「なるほど、なるほど、そっち行きたいのね」としかならなくなってくる。

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